誤差数センチの位置情報は、どんなイノベーションを起こすのか?

NASA 小野 雅裕 氏 × ソフトバンク 永瀬 淳

誤差数センチの位置情報は、 どんなイノベーションを起こすのか?

(2019年3月20日掲載)

2006年、世界初のセンチメートル級の測位衛星として、内閣府の特別機関である宇宙開発戦略推進事務局により開発が始まった、準天頂衛星「みちびき」。2010年に初号機、2017年に2〜4号機の打ち上げに成功し、2018年11月1日から本格運用が始まった。

“日本版GPS”とも称されるこの衛星によって、屋内の場所や高低差などを含め、より正確な位置を測定できるようになった。高精度な位置情報を活用し、すでに民間企業による複数のサービスが展開されている。

2025年には、約5兆円の新サービスが創出されるともいわれる「みちびき」を活用したビジネスは、私たちの生活をどのように変えていくのか。NASAで火星探査ロボットの開発をリードし、宇宙ビジネスにも詳しい小野雅裕氏と、ソフトバンクICTイノベーション本部で測位サービスをを専門とする永瀬淳氏の対談から、その可能性を探る。

宇宙のなかで、位置を知ることのありがたさ

- 小野さんはNASAで火星探査機の開発に携わっていますが、火星ではどのようにローバー(探査機)の位置を特定するのですか?

小野:

火星ローバーの現在地を捉えるのは、かなり大変です。そもそもの着陸精度が±10km程度あり、どこに着陸したか知るためには電波測量から行わなければなりません。

まず、火星ローバーから発した電波を地球の数箇所で受信して、三角測量を実施。それに加えて、ローバーが撮影した写真と火星周回衛星から撮影したローバー周辺の写真を見比べながら位置を特定します。

宇宙のなかで、位置を知ることのありがたさ

今はどのスマホにもGPSが入っているから、我々は測位サービスが提供されることをあまりにも当たり前に思ってしまっています。でも、少し前までは地球も火星と同じだったんですよね。

飛行機だって、方位磁針と電波、そして慣性航法を用いて自分の位置を測っていたし、もっと前には船は星の位置を頼りに航海していました。

1969年に月に行ったアポロ宇宙船でさえ、地上からの電波装置が故障したときのために、18世紀の船乗りが使っていた六分儀(天体上の二点や二つの物体の角度を測る器機)を搭載していたそうです。いざとなったら肉眼で星を見て、六分儀を使って地球に帰って来られるように、と。

地球外のナビゲーションに興味を持っている僕としては、GPSが火星にあったらどれだけ便利かと思いますね。

小野雅裕 NASA

小野雅裕

NASA
1982年大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、MITに留学。2012年4月より2013年3月まで、慶應義塾大学理工学部の助教として学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013年より、NASAの中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている。
永瀬:

私は測位サービスが専門ですが、他の惑星での測位というのは想像もつきません。火星に測位基準点を打ち込むような計画はないんですか?

小野:

火星まで物資を送り届けるには、最低でも何百億円というコストがかかります。基本的には前人未到の場所へ行くのが仕事なので、ローバーは走りながら基準を作っているんです。

走った後ろにはどんな岩があって、どんなクレーターがあるのかがわかってくる。ただ、正確な地図もないし、1km走ったら20mズレるような世界ですからね。

永瀬:

なるほど。新天地を求めるというのは難しいですね。私も測位に携わっているので、3次元の空間で宇宙船をコントロールするのがどれだけ難しいかはわかります。それと比べると、地球がどれだけ恵まれていることか。

永瀬淳 ソフトバンク

永瀬淳

ソフトバンク
ICTイノベーション本部 ICTI戦略統括部 IoT事業開発部 プロジェクト推進課 担当部長。2000年、ソフトバンクECホールディングス入社。ソフトバンクグループのベンチャーキャピタル・インキュベーターとして先端技術を日本市場に導入し、事業会社設立に従事。2009年に本社帰任。スマートデバイスを活用したライフスタイルの創造をテーマに、位置測位技術とAR技術に着目。認識アルゴリズム、レンダリングアルゴリズム開発を推進する。

- 2018年11月から、日本版GPS「みちびき」の運用が開始されました。そもそもGPSとは何なのでしょうか。

小野:

GPS(Global Positioning System)をテレビの電波のように誰でも自由に使える公共財だと思っている人が多いのですが、GPSとはアメリカの測位衛星を利用した位置情報システムのこと。突き詰めれば、アメリカの国益のために運用されています。

GPSにはアメリカ軍に向けたコードと世界中に開放一般向けコードがあり、我々が利用しているのは一般向けです。しかし、有事の際には、アメリカは一般向けコードを停止することができます。

だから、日本やロシア、EU、中国、インドなど、世界各国が自国の衛星を持とうとしています。その日本版が「みちびき」です。

永瀬:

これまで日本では、GPSを中心とした他国の測位衛星を活用して位置情報を取得していました。これに4機のみちびきが加わることだけでも単純に衛星の数が増えて精度が上がります。

準天頂衛星という名前からもわかるように、みちびきは、ほぼ日本の真上にいます。高仰角からの電波は山やビルなどに反射しにくく、大都市でビルが多い場所でも正確な位置情報を得られるようになりました。

もうひとつの特徴は、GPSを補強する電波を2種類出していることです。補強信号があることによって、位置情報の精度はさらに上がります。これらの特徴により、今までよりもより身近に高精度衛星測位を活用できるようになったわけです。

みちびきの軌道-日本付近に長く留まるよう8の字軌道を描いている
みちびきの軌道。日本付近に長く留まるよう、8の字軌道を描いている。
小野:

アメリカのGPSは30機以上打ち上げられていますが、世界中で運用されているのでカバーする範囲が広い。それに対して、みちびきは数こそ少ないですが、日本上空からオーストラリアまでの狭い範囲を8の字軌道を描いて周回しています。

このユニークな仕組みを考えた人は、本当にすごい。

誤差数センチの測位が起こすイノベーション

- 日本で準天頂衛星計画が始まったのは、2002年。その頃はどんな利用を想定していたのでしょうか。

永瀬:

ソフトバンクでは、日本でiPhoneが発売される前から、スマートフォンのような端末があったらどのような使い方が普及するかを検討していました。そのときに出た答えが、「位置情報がキーワードになる」というもの。

その後、2010年頃から本格的に位置情報の活用に取り組み始めます。この頃に技術検証を目的とするみちびき初号機が打ち上げられ、さまざまな実証実験を開始しました。

小野:

どんな実験を行ったんですか?

永瀬:

たとえば、東京ドーム3.5個分の敷地に複数の建物が並ぶ北海道の博物館「網走監獄」では、屋外と屋内を行き来してもシームレスで正確な測位ができるかを試しました。現在では、屋外と屋内を1秒以内で切り替えて測位ができる携帯デバイスを実用化しています。

ほかにも、箱根ではGPSとAR(拡張現実)の技術を合わせて、エヴァンゲリオンのARスタンプラリーを実施しました。参加者が特定の場所に近づいてスマホをかざすと、山に実物大のキャラクターが出現したり、街中の看板を作中の看板に差し替えたりする企画です。

米国のNASAに勤務する小野氏とオンラインで対談を実施
米国のNASAに勤務する小野氏と、オンラインで対談を実施。
永瀬:

実は、ARと位置情報の整合性は非常に重要なんです。ARは少しでもズレるとリアリティがなくなりますが、みちびきによる高精度測位情報を活用することで、近づくと大きくなり、遠ざかると小さくなる。実際そこにいるかのような、臨場感がある表現が可能になったのです。

このAR技術を建築に応用すれば、スマホを向けるだけで、CAD図と建物のズレや歪みを数センチの精度で確認することができるようになります。

小野:

最近ではスマートフォンの地図で、GPSが搭載されたバスの現在地を確認できます。センチメーター級の測位が可能となれば、自動運転などもかなり現実味が増すでしょうね。

今の自動運転にはいろんな難しさがあって、クルマがレーンの中心を走っているかをチェックするのは、結局画像認識に頼っています。でもレーンのマーキングがバラバラだったり、白線が消えてしまったりしているところもあります。朝と夜でも認識が異なることもあり、まだまだ安全性が担保できません。

もっとも、公道を走る自動車だと数センチの誤差でも安全に関わる可能性がありますが、農業機械の自動化なら、今の測位システムでも可能かもしれない。人のいない田んぼで田植え機をジグザグに走らせる分には、多少の誤差は問題ありませんから。

写真:metamorworks/Getty Images
写真:metamorworks/Getty Images

- 屋内外でシームレス、かつ高精度な測位が行われることには、どんなメリットがあるのでしょうか。

永瀬:

屋内の位置情報を把握するのは難しく、たとえばビル内にいることはわかっても、13階の第2会議室にいる、といった細かな場所は特定できないですよね。しかし、みちびきとともに開発されつつある屋内測位の仕組みを組み合わせることにより、シームレスな測位が可能となります。

これまでは、When、Who、What、Why、Howのデータは正確に取れていましたが、正確なWhereが欠けていました。みちびきによってデータの5W1Hが揃うことで、人流解析が活発になります。

コンビニのどの棚に何を配置するかといったマーケティングへの応用から、より的確な避難経路の誘導などの災害時対策まで、様々な業界で重宝されると思います。

みちびきがもたらす正確な情報は、時間と位置です。これらの情報は産業の基底となる情報で、これらが精密になることであらゆる産業分野にイノベーションをもたらすと考えています。

- 現在、ソフトバンクが提供している「準天頂衛星対応トラッキングサービス」は、どのように使われていますか。

永瀬:

みちびきを利用して高精度な測位を行うサービスで、ソフトバンクが開発した専用端末「マルチGNSS端末」を利用して、約1.0〜1.8mの誤差(測位環境、状況による)で測位ができます。

測定データはソフトバンクのIoTプラットフォームに転送され、ユーザーはそのプラットフォームにパソコンなどでアクセスして確認します。たとえば、バスやタクシーの経路の最適化や、運送業の物流管理などに使うことができます。

産業活用の一例として、Honda車の研究開発を行う本田技術研究所様は、さまざまな場所で動き回るテスト車両にこの端末を搭載されています。これにより瞬時に車両がどこにいるかを把握できるようになり、管理効率化が図られました。

「準天頂衛星対応トラッキングサービス」はまだ昨年始まったばかりのサービスですが、お客さまがそれぞれの業務に照らし合わせて、我々には想像もつかない使い方をされています。端末の重さも165gと軽量で小型なので、ドローンに積むといった活用法も今後は出てくるかもしれません。

あらゆる産業は、宇宙へと広がる

- 現在4機で運用しているみちびきですが、2023年には合計7機まで増える予定です。そうなると、数センチ単位の測位サービスも当たり前になるでしょうか。

みちびきを打ち上げる計画のマイルストーン
みちびきを打ち上げる計画のマイルストーン。現在は4号機まで打ち上げられている。
永瀬:

精度は高まりますが、普及にはもう少し時間がかかるでしょう。課題はセンチメーター級の受信機+アンテナがまだまだ高額なことです。

小野:

GPSを使っても高額なんですね。

永瀬:

そうなんです。特に衛星測位の場合は、なるべく短時間で多くの衛星を捉えて位置をフィックスさせることに非常にパワーが必要で、センチメーター級の測位を行えるアンテナがものすごく高いんです。マスプロダクトに載せるには、価格からあといくつか「0」を取り除く必要があります。

これが数百円単位まで下がれば、凄いイノベーションが起こるのではないでしょうか。そのために必要なのは量産効果です。今のところ、コンシューマービジネスではセンチメーター級の測位は不要と思われていますが、便利さがわかるとみんな欲しくなるはず。

それに、公共的な用途もあります。今、日本のインフラの多くは補修が必要な時期に差し掛かっていますが、すべてを細かく確認するには人手が足りません。車にセンサーを付けて道路や線路からの異音や振動を検知し、その場所を正確に特定できれば、圧倒的にコストが削減できます。

- みちびきのような宇宙プロジェクトの場合、国と民間の棲み分けはどうなるのでしょうか。

小野:

なかなか一般論にするのは難しいのですが、測位衛星は道路のようなインフラに近いと思います。衛星測位システムに何千億円も投資できる企業は今は多くないけれども、税金で打ち上げられた通信衛星の電波はみんなが使えます。

国が造った道路を誰もが自由に使うことができるように、みちびきが提供する位置情報を使って、民間企業が自由に経済活動をしていくのではないでしょうか。

オンライン対談する小野氏と永瀬氏

- 確かに、民間企業の宇宙ビジネスは活発な動きをみせています。この傾向は、ますます進むと思いますか。

小野:

私がやっているような地球外惑星探査の場合は科学的調査を目的としたものが大半ですが、地球周回軌道の人工衛星の大半は、通信や放送など実用的な目的──つまり、ビジネス的な側面を持っています。

ただし、「宇宙ビジネス」という捉え方には、少し違和感があります。もしかすると、観光業や放送業、運送業と並んで宇宙ビジネスがあると思っている人がいるかもしれませんが、地球に運送業や観光業があるように、宇宙にも運送業や観光業があるというほうが正確です。

そういった意味では、地球にある産業はこれから宇宙でも必要になるわけで、宇宙を舞台にしたビジネスはより多様化していくし、多様化することで宇宙ビジネスという言葉が消えていくと思います。

永瀬:

本当にそうですね。衛星を搭載したロケットを打ち上げているスペースXは、宇宙への物流ビジネスです。これが第一次宇宙産業だとすると、その川下に衛星を使った放送・通信事業や、資源開発があるのでしょう。

第二次、第三次と裾野が広がっていくと、「宇宙ビジネス」だと意識する人も少なくなるのではないでしょうか。

すでに、多くの人は宇宙とのつながりを意識せずに、Google Mapで自分の位置を確認したり、BS放送を観たり、GPS時計を使ったりしています。そうやって当たり前のインフラやサービスになることこそ、社会のイノベーションに必要な条件だと思います。

(編集:金井明日香、宇野浩志 構成:笹林司 撮影:後藤渉 デザイン:九喜洋介)