経営陣ファイル 2012年

ソフトバンクモバイル CFOの藤原が振り返る
移動体通信事業の5年間

藤原 和彦

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2006年にソフトバンクモバイル株式会社(以下「ソフトバンクモバイル」)として移動体通信事業を開始してから5年が経ちました。年間純増契約数で、同社は4年連続1位を獲得※1するなど、事業は順調に推移していますが、移動体通信事業に参入した当時は苦戦の日々が続きました。この期間、同社のCFO(最高財務責任者)として移動体通信事業に携わってきた藤原の目には、どう映っていたのか?今回は同社取締役常務執行役員 兼 CFO 財務統括の藤原 和彦にインタビューしました。

5年ごとに訪れる大きな節目

移動体通信事業の話題に入る前に一つお伺いします。2001年に自動車メーカーからソフトバンク株式会社(以下「ソフトバンク」)に転職されていますが、その当時、ソフトバンクをどのように見ていたのでしょうか?

“非常に変化が激しい会社”という印象でした。海外も含め積極的な投資活動を展開していましたので、いろいろなことに挑戦できるのではと思い、持株会社であるソフトバンクに入りました。この時期、持株会社に「関連事業室」という部署を立ち上げることになり、いわゆる持株会社にとって関連事業は本業ですので、この仕事に携わることに大きなやりがいを感じていました。

ソフトバンクに入社してから10年が経ちましたが、私が入社した2001年はソフトバンクBB株式会社(以下「ソフトバンクBB」)がブロードバンド総合サービス「Yahoo! BB」を始めた年であり、ソフトバンクの歴史にとっても大きな節目でした。また、私が入社する5年前の1996年にYahoo! JAPANの創業があり、入社5年後の2006年に移動体通信事業を始めることになるのですが、このようにソフトバンクは、5年ごとに大きな節目を迎えてきています。振り返ると「Yahoo! BB」は、本当に何もないところから通信事業を立ち上げ、2001年、2002年と1,000億円規模の赤字を出し、しかもその赤字は拡大傾向にありました。このような中、私は2003年にYahoo! BB事業の経営管理を命じられ、なんとしてもこの局面を打開することがミッションとなりました。

社長の孫 正義以下、当時のソフトバンクBB従業員が一丸となってさまざまな取り組みを行った結果、2003年の途中からようやく反転への道筋が描けてきました。しかしその一方で、顧客情報漏えい事件やFTTH事業への参入、日本テレコム株式会社(現ソフトバンクテレコム株式会社、以下「日本テレコム」)の買収などが相次ぎ、黒字化にこぎ着けたのが2005年。事業は黒字を出せて一人前ですから、2005年になり、ようやく一息つけた感じだったのです。

ところが翌2006年にはボーダフォン株式会社(現ソフトバンクモバイル、以下「ボーダフォン」)の買収がありました。日本テレコムは、買収時のソフトバンクBBよりも企業規模はずっと大きいものでしたが、ボーダフォンは、ソフトバンクグループに日本テレコムを足しても、その倍以上の企業規模でした。この買収劇を経て移動体通信事業に踏み出した2006年も、ソフトバンクにとって大きな節目の年だったと思います。

携帯電話番号ポータビリティ(以下「MNP」)の開始を目前に控えていた買収当時のボーダフォンは“草刈り場”と言われ、事実、買収後しばらくは苦戦が続きました。この時期について、どのように感じていましたか?

買収直後のボーダフォンは、3年ほど1,500万件の契約数で頭打ちになっている状態でした。では利益の面がどうだったかと言いますと、2004年の営業利益が約1,500億円だったところが、2005年には750億円と、ほぼ半減していました。利益が半減で契約数が止まったまま、しかもMNPは目前。加えて大きな借金を背負っているわけですから、正直なところ「これは大変だ…」と思いました。ただその分、夢中でチャレンジができたとも感じています。

この買収直後の時期に、孫はある大きな決断をしました。今振り返るとそれが大変重要なことだったと思います。それは、事業所を一気に統合したということです。2006年のゴールデンウィーク中にボーダフォンを汐留に移転させ、ソフトバンクBB、ソフトバンクテレコム株式会社(以下「ソフトバンクテレコム」)と同居させました。誰に聞いても難事業と言われた事業所統合を行い、さらに移動体通信と固定通信の事業会社の社名に「ソフトバンク」を冠したことで、“退路を絶って本気で取り組む!”という構えができたと思います。また孫は、移動体通信事業を本業と位置付け全力を挙げる方針を打ち立て、「4つのコミットメント」を掲げました。具体的には、「ネットワーク」「端末」「コンテンツ」「営業・ブランディング」をそれぞれ強化するということでしたが、この4つは要するに、移動体通信事業全部です(笑)。“全方位で、全力でやり遂げる”という非常に大きなチャレンジだったわけです。私は移動体通信事業を始めてからここまでの5年間は、大変うまくいったと考えていますが、その要因を一言で総括するとすれば、「全員野球」ということになります。誰が欠けてもできなかったと思いますし、最初に構えがしっかりできていたからこそ、やり遂げることができたと思います。

どのような場面で「全員野球」を実感しましたか?

一例を挙げますと、携帯電話端末の割賦販売です。これは従業員一丸となって取り組まなければできなかったことでした。
以前の携帯電話端末は 0円や1万円など、非常に廉価で販売していました。でも実際は、数万円のお金がかかっています。つまり移動体通信事業者が最初に資金を負担して、時間をかけて回収していくというビジネスモデルでした。しかしこれでは短期に解約されますと、まったく回収することができません。売れば売るほど資金が要るというのは、単純な体力勝負ですから、新規参入にとっては大変厳しいモデルです。しかし泣きごとも言っていられませんので、必死に考えた結果生まれたのが、携帯電話端末の割賦販売でした。割賦にすることにより、端末の代金を確実にお支払いいただけますので、例えば「ホワイトプラン」のような思い切った価格の料金プランでも、安心して提供することができるわけです。私たち財務部門は、こうしたさまざまなビジネスの形を提案しますが、これらがうまくいったのは、まさに「全員野球」で取り組んだためでした。

まず孫が割賦の導入を決断し、営業やマーケティング、情報システムやカスタマーサービス部門の皆さんも、それぞれ真剣に取り組んでくれました。特にお客さまに直接、販売の新しい仕組みを説明する営業やカスタマーサービスは、大変だったと思います。これは後日談になりますが、ソフトバンクモバイルの主要な割賦販売プランは24カ月の契約です。しかし実際には、無料期間が2カ月あり、26カ月のプランで導入しました。なぜか?それは、このプランを導入した当時、運用システムの構築が間に合わなかったからです。普通の会社であれば断念するところですが、情報システム部門から「2カ月あれば間に合います」という提案があり、それならば孫が希望していた「持ち帰り価格0円」を打ち出すこととして、支払いは2カ月後にスタートしようというアイデアに仕上がっていったのです。
割賦販売はほんの一例で、その他のさまざまな取り組みも含めて、本当にグループを挙げて取り組んだ結果、うまくやってこれたのだと思っています。

好調な今こそ気を引き締める

先ほど5年ごとに節目があったと伺いましたが、2011年は携帯電話事業開始から5年目の年でした。

赤字と格闘したYahoo! BB、大きな買収を伴った移動体通信事業参入、そして2011年は買収時に組んだ借金を完済・リファイナンスしたおかげで、会社としてチャレンジの選択肢を増やすことができました。やはり大きな節目の年であったと、後日振り返るのではないかと予感しています。事業は大変順調に推移してきていますが、しかし財務の目で見ますと、「今がソフトバンクグループにとってリスクの時期だ」と、あえて申し上げたいと思います。

今から少し前、2008年のリーマンショックの頃を思い出してみてください。この時期の日本企業は増益を続け、リストラも成功し、海外に本格的に打って出るなど、実は業績の良い会社が多かったのです。ところがリーマンショックが起き、その結果、ある会社では「売り上げが激減し、2年前の水準に戻ってしまい、赤字に転落しました」と。ところが2年前は、その売り上げで十分黒字だった。つまり業績が好調だった2年前に、選択肢が増えたことで、さまざまな投資を行っていたわけです。投資はそれを実行した瞬間にコストになります。予定どおり成長し、売り上げが上がっていけば、投じたコストは実績として返ってきます。ところがフルスロットルでアクセルを踏んでいる時に、突然ブレーキがかかったり、何かが飛び出してきたりすると、制御不能に陥り大きな事故になってしまうものです。それを踏まえた上で現在のソフトバンクグループを考えてみますと、例えば2年間で1兆円以上の規模の設備投資をしようとしていますが、これは大きなチャレンジであると同時に、やはり大きなリスクでもあります。

私の座右の銘の一つに、「お金が調達できない時がリスクではなく、楽に調達できるようになった時がリスクなのだ」というものがあります。これはアメリカのヘンリー・フォード氏の言葉ですが、お金がないときは、「本当に必要か?もっと安くならないか?」ということを真剣に考えます。しかしお金があると、意思決定やオペレーションが雑になることが往々にして起こりえます。「誰かがやっているだろう。今までうまくいってきた」ということが“神話”になってしまうわけです。まさに“盛者必衰”“大企業病”とはこのことで、われわれの選択肢が増えたということは、そういうリスクが内在し始めたということでもあるのです。先ほどYahoo! BBの赤字が1,000億円だったと言いましたが、当時はこれが“限りなく底が深い海”と感じていました。しかし連結の営業利益が6,000億円の会社となった今、1,000億円が“浅瀬”に見えることがあります。これは大変危険なことですので、私自身しっかりと戒めていきたいと考えています。

しかし、リスクを制していかない限り、勝つことはできません。やはり重要なことは、「全員野球」で、今までと同じように、額に汗してひたむきに一生懸命頑張る気持ちを失ってはいけないということです。副社長の宮内 謙の言葉を借りれば、「わが社は永遠のベンチャーだ」ということになりますが、表現こそ違えども、私は同じメッセージだと受け止めています。

最後に、今後ソフトバンクグループ事業会社 CFOとして取り組みたいことをお聞かせください。

2012年2月2日(木)に行われた第3四半期決算説明会の場で、当社は「2016年度 ソフトバンクグループ連結営業利益1兆円」が目標であると宣言しました。この数字は現在の株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモの数字より大きく、過去達成したことのある日本企業は、日本電信電話株式会社とトヨタ自動車株式会社の2社のみという大きな目標です。まずは、この目標達成に道筋をつけていく役割を担っていきたいと考えています。
私が預かる財務という部門の最も重要な役割は、会社の“羅針盤”として、全社をナビゲートすることだと思っています。ゴールのイメージを徹底的に磨き続けるとともに、今の自分たちがどこにいるかを常に把握し、「逆算方式」で次の一歩を考え、日々のアクションを積み重ねてゆく、まさに「着眼大局、着手小局」、ソフトバンクグループがそういう企業集団であり続けることができれば、目標は必ず達成できると確信しています。

私が社会人になって2年目の時に出会った言葉があります。
「目標が行動を促し、成果が行動を持続させる※2

これは私の座右の銘です。ソフトバンクグループが今まで成長してこられたのは、「目標を立てたらやり切ってきた」ことにあると思っています。純増契約数No.1が良い例ですが、まだ苦戦が続いていたころ、孫は「まず一度純増契約数No.1を取ろう。一度1番になったら、次も1番になれないと気持ち悪くなるだろう」と言いました。目標を立てたら、何としてもやり切らなければならない。「やってもダメだ、やって損した」というマインドではいけません。実行したら成果を出して、それを持続するというのが、「常勝軍団」だと思います。ソフトバンクグループの強みは、「全員野球でチャレンジを続ける」、こういう企業風土だと思います。それが、DNAとして進化し継承されるよう、力を注いでいきたいと思います。

藤原 和彦(ふじはら かずひこ)

藤原 和彦(ふじはら かずひこ)

  • ソフトバンクモバイル株式会社 取締役常務執行役員 兼 CFO 財務統括
  • ソフトバンクBB 株式会社取締役常務執行役員 兼 CFO 財務統括
  • ソフトバンクテレコム株式会社 取締役常務執行役員 兼 財務統括
  • 株式会社ウィルコム 取締役

略歴:1959年島根県生まれ。マツダ株式会社を経て、2001年ソフトバンク株式会社入社。関連事業室室長に就任。2003年ソフトバンクBB株式会社経営企画本部長、2004年同社取締役 管理部門統括 CFOに就任。2005年ソフトバンクテレコム株式会社取締役、2006年ボーダフォン日本法人買収と同時に同社(後のソフトバンクモバイル)常務執行役 CFOを兼務し、2007年より現職。2011年株式会社ウィルコムの取締役を兼務。

(掲載日:2012年2月21日)

[注]
  • ※12008年1月~2011年12月、新規契約から解約を差し引いた純増契約数。(社)電気通信事業者協会の統計資料を基に当社算出。
  • ※2出典:『1分間マネージャー —何を示し、どう褒め、どう叱るか!』(K. ブランチャード(著)、S. ジョンソン(著)、小林 薫(翻訳)、出版社:ダイヤモンド社)
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