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量子インターネットの実現に向けたソフトバンクの取り組み ~都心部光ファイバーにおいて量子もつれを担う光子の伝送に成功~
#量子技術 #量子コンピューティング #量子インターネット #量子もつれ
2025.03.13
ソフトバンク株式会社


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1. 現在のインターネットと次世代技術との融合
私たちが日常生活で利用しているインターネットは、今日では社会に欠かせないインフラとなっており、情報検索、オンライン決済、動画視聴など、人々の生活を豊かにしてきました。これはインターネットが世界中のコンピューターや端末をつなぐネットワークによって、膨大な情報の処理を可能にしているからです。一方、近年の人工知能(AI)やモノのインターネット(IoT)を始めとするテクノロジーの発展と普及に伴って、インターネットを通してやりとりされる情報量が年々増加しています。これにより、データ処理の負荷が飛躍的に増し、従来のコンピューターによる情報処理では対応が難しくなることが懸念されています。特に、大規模な組み合わせ最適化や複雑なデータ解析において、古典的なコンピューティング技術の限界が顕在化しつつあります。このため、従来のインターネットの性能を上回る、より高度な情報処理システムの構築が求められています。
このような社会的な要請に応え、次世代のコンピューティング技術と融合する可能性を秘めているのが「量子インターネット」です。現在、次世代の計算機として量子力学の原理を応用した「量子コンピューター」の開発が世界的に行われており、近い将来、従来のコンピューターを凌ぐ計算能力の実現が期待されています。そのような中、さまざまな問題を解くことができる汎用型の量子コンピューターの実現においては、システムの大規模化が課題となっており、それに向けた技術の開発が進められています。そこで、離れた場所に設置した複数の量子コンピューターをネットワークを介して互いに接続し、協力して計算を行う「分散量子コンピューティング」という技術が注目されています。
しかし、分散量子コンピューティング用のネットワークとして従来のインターネットを用いると、量子コンピューターの計算能力を大きく向上させることはできません。一方で、量子インターネットを用いた場合は、量子コンピューターの接続規模に対して飛躍的(指数関数的)に計算能力を向上させることができるため、多数の量子コンピューターを用いた分散処理によって、単体の量子コンピューターでは扱うことが難しいような大規模な問題を計算できるようになると期待されています。
2. 量子インターネットとは
原子や分子などは、粒子としての性質に加えて、干渉や重ね合わせなどの波としての性質を併せ持ちます。このような性質は、原子や分子が量子性を持つために生じる性質の一つです。量子性を持つ系(量子系)は、私たちの日常的な経験に基づく直感に反した振る舞いをします。特に、量子系に特有の現象として「量子もつれ」が挙げられます。
量子もつれとは、特殊な方法で生成された複数の量子の状態に現れる、古典的には実現できない強い相関のことです。この性質によって、例えば量子もつれの状態にあるペアの粒子のうちの一方の状態が測定によって決まると、他方の状態も分かるといった特徴があります。量子もつれを発生させる方法はいくつかありますが、光(光子)を使って量子もつれを起こした場合は、片方の光子を光ファイバーによって送ることで、遠く離れた光子ペアに量子もつれが現れます。
量子インターネットは、そのような量子もつれ状態の光子をさまざまな地点に送ることができるネットワークです。このようなネットワークを構築することで、世界中の至るところで、量子もつれ状態を共有できるようになります。これによって、前述の分散量子コンピューティングに加えて、量子コンピューターを使っても解けない情報理論的に安全な暗号プロトコルや、離れた場所に量子状態を送る量子テレポーテーション、2地点間の高精度な時刻同期など、現在のインターネットにはない機能を実現できます。
量子インターネットの実現には、量子もつれ状態の光子を生み出す技術と、それを光ファイバーで伝送する技術が必須となります。しかし、光子は光ファイバーによる損失や外乱に影響されるため、量子通信の長距離化には技術的な課題があります。そのため、図1のように通信経路の途中で量子もつれを中継する「量子中継機」を活用する研究開発が行われています。

図1. 量子中継システムの全体図(出典:https://lquom.com/products/)
3. 量子インターネットの実現に向けたソフトバンクの取り組み
ソフトバンク株式会社(以下「ソフトバンク」)では、将来の量子社会を支えるインフラとして、既存のインターネット技術と量子インターネット技術を融合したハイブリッドネットワークの実用化を目指して、取り組みを進めています(図2)。

図2. 既存のインターネットと量子インターネットを融合したハイブリッドネットワークのイメージ
2023年には、量子インターネットの実現に向けて量子通信システムや関連技術の開発に取り組んでいるLQUOM株式会社(以下「LQUOM」)と共同で、都心部に敷設された光ファイバーを使った量子もつれの伝送実験を開始しました。
2023年9月:実用環境における量子もつれの伝送実験を開始
通信事業者によって敷設された光ファイバーは、電柱の上や地下を通っているため、地下鉄や通行車両による振動、風や雨、さらに季節や昼夜の温度の変化など、さまざまな環境の変化にさらされています。また、光ファイバーには、小さいながらもわずかに損失があり、長距離伝送中に光子が一定の確率で失われてしまいます。そのため、量子インターネットの実用化においては、実際に商用で敷設されている光ファイバーで量子もつれを担う光子が伝送できるかを確かめる必要があります。そこでこの実験では、以下の内容に取り組みました。
・都心部に敷設された商用光ファイバーでの伝送環境評価
・量子もつれを担う光子の長距離伝送実験
実験1:都心部に敷設された商用光ファイバーでの伝送環境評価
量子中継の方法は複数ありますが、いずれの方法でも、それぞれの拠点で生成された光子を中間の中継点に送信し、そこで光子の干渉を利用して、拠点間の量子もつれを生成します。このとき、光ファイバーを透過した光子の位相が大きく変動してしまい、中継点で光子が上手く干渉しない場合は、拠点間に形成される量子もつれの質(フィデリティ)が低下します。したがって、量子中継器を使う将来的な長距離量子インターネットを構築する上では、光ファイバー透過後の光子の位相を高精度にコントロールすることが重要です。
そこで、一つ目の実験では、商用光ファイバーを透過した光の位相変動を定量的に評価しました。具体的には、ソフトバンクの本社に設置した(古典)光源から、全長約32kmの光ファイバーに対して、レーザー光を入力し、東京都内にあるソフトバンクのデータセンターを経由して戻ってきた光の位相を測定しました(図3)。さらに、1日の時間帯や季節ごとの位相変動を数ヶ月にわたって測定し、光ファイバーを透過した光の位相の安定性を評価しました。

図3. 都心部に敷設された商用光ファイバーの伝送環境評価
実験で得られた結果を図4と5に示します。図4はそれぞれ、東京都における1日の気温の変化と、各時刻における位相の変化を光ファイバー長に換算して表しています。また、位相の変化量は、各時刻の測定を開始した時点を基準にして、相対的な値で定義しています。
これらの結果から、都心部に敷設された光ファイバーを通過した光の位相が、1日を通してわずかに変化していることが分かります。変化を詳しく見てみると、この位相変化は、外気温の変化による光ファイバーの膨張や収縮による影響と考えられます。例えば、日が昇り気温が上昇する朝の9時頃では位相の変化は光ファイバーが長くなったことに相当する方向に変化しています。反対に、気温が低下する深夜の3時、日中の15時、夜の21時頃では、位相の変化は光ファイバーが短くなる方向に変化しています。
このような1日の中での気温の変化に伴う大きな変化に加えて、短い時間スケールでの細かな変動も見られました。この位相変化量は光ファイバーの長さに換算すると、毎秒数マイクロメートルから数十マイクロメートルのオーダーです。このような光の位相の変化は、アクチュエータ(圧電素子)を用いて光ファイバーの長さを物理的に伸縮させることで、リアルタイムに補正できます。
図5は、各時刻に測定した位相に対してフーリエ変換を行い、各周波数の位相変化を同日3時と15時で比較したものです。図中には、実際の測定値と、それに統計処理を施したRMS値(2乗平均平方根)がプロットされています。2つの時間帯の結果を比較すると、100Hz以下の周波数帯の位相の変化量が顕著に異なることが分かります。このような周波数に寄与する振動の原因としては、人々の社会生活による交通振動(自動車や鉄道の走行に伴う振動)や、風によるビルなどの構造物の共振などが考えられます。15時において振動が大きい理由としては、一般に深夜と比べて日中は社会活動が活発であり、また気温が高く、風速が大きい傾向があるためと解釈できます。

図4. 左:東京都(2024年6月14日)の気温変化(気象庁のデータを元に作成)
右:各時刻における光ファイバー長の時間変化

図5. 光ファイバー長の変化における周波数成分
実験2: 量子もつれを担う光子の長距離伝送実験
二つ目の実験では、位相変化の評価実験で用いた商用光ファイバーに、LQUOMが開発した共振器内蔵型量子光源 LQ-PS-100(図6)で生成した量子もつれを担う狭線幅光子を導入し、実用に耐えられる品質で伝送できるかどうかを検証しました。具体的には、量子光源から出てくる二つの光子(量子もつれを担う光子)のうちの片方をデータセンターに送り、もう一方を生成直後に実験室内で測定することで、光子の到来時刻差を評価しました(図7)。光子検出器には高い感度が求められるため、浜松ホトニクス株式会社で開発中の超伝導単一光子検出器を使用しました。

図6. LQUOMが開発した共振器内蔵型量子光源 LQ-PS-100

図7. 商用光ファイバーでの量子もつれを担う光子の伝送実験
得られた結果は、図8のとおりです。図では、量子光源で生成された光子ペアの両方を実験室内で検出した参照実験の結果を合わせてプロットしています。これは、商用光ファイバーを透過することによる光の損失やノイズの影響がない場合に対応します。横軸の2光子の到来時刻差は、光子ペア(図7の光子1と光子2)のそれぞれが透過する光ファイバーの長さの違いを考慮した補正値を表し、縦軸は1秒間に測定された光子ペアの数を表しています。ここで、商用光ファイバーを用いた実験で測定された光子ペアの数は、参照実験の結果と比較するため、光ファイバーの透過による損失をデータ解析で補正して、30倍した値をプロットしています。
図より、光ファイバーの損失を考慮すると、室内実験と商用光ファイバーを用いた場合の光子数の違いは、想定通りであったことが分かります。また、光子到来時刻差が零に近い場合に測定された光子ペアの数が最大となるような分布が得られたことから、光ファイバーの透過による損失やノイズによる信号劣化の影響は十分小さいと考えられます。加えて、複数日の昼夜にわたって同様の結果が得られていることから、システムの安定性も確認できました。したがって、今回の実験から商用光ファイバー上で、安定して量子もつれを担う光子を伝送できることが明らかになりました。

図8. 2光子の到来時刻差と1秒間に測定された光子ペアの数の関係
4. 二つの実験結果から見る今後の量子インターネットの展望
今回の実験から、都心部に敷設された商用光ファイバーにおいて、気温変化やさまざまな振動による環境変動の下で、量子もつれを長距離伝送するための位相補正が可能な範囲に収まることが分かりました。また、実際の量子光源と光子検出器を使った実験から、量子もつれを担う光子を商用光ファイバーで送ることができることが分かりました。
今後はこの実験で得られた知見を基に、LQUOMが開発した量子通信システムを使って、ソフトバンクのネットワーク上で、量子インターネットの実現に必要な基礎技術の検証を行い、早期の社会実装に貢献していきます。また、量子インターネットのユースケースを見極めながら、将来のネットワークサービスの付加価値の向上を目指します。