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従来の農家のビジネスモデルは、農作物をJA(農業協同組合)に卸し、流通・販売以降のプロセスを全て委託してしまうことが一般的だ。
農家が流通・販売のプロセスを負う必要がない一方で、個別の農家の努力によって付加価値を生み出した農産物で収益性の向上を目指すといった独自の取り組みはしにくい側面もある。
和歌山県田辺市の米殻店(農協から卸される米を中心に穀物を扱う食料販売店)を経営していた田上雅人氏は、2008年から「熊野米プロジェクト」を開始。熊野地域の食文化を盛り上げたいという思いからはじまったプロジェクトは、農業の6次産業化(※)、農業技術の伝承、デジタルシフトなど、日本の農業が抱えるさまざまな課題への挑戦へとつながっていった。
農業に関しては、まったくの素人。だからこそ、できることもある。そう意気込む田上雅人氏に話を伺った。
※農業などの1次産業において、農産物の価値をさらに高めることなどで産業に従事する者の所得を向上していくこと。
「熊野三千六百峰」と呼ばれる山々が連なり、古くから神々の住む聖地として信仰の対象となってきた熊野地域。鯖寿司、めはり寿司、茶粥など豊かな食文化を有する土地だが、それらの食材となる「米」は県外のものを仕入れていた。
当時、米穀店の田上氏が販売していた米も、新潟や福井など、他県の米どころから仕入れたものがほとんど。一方で和歌山には耕作放棄地も多かった。
「和歌山県の湯浅は醤油発祥の地と言われていますし、勝浦町からはマグロが揚がる。もし和歌山県産の米ができれば、和歌山県の米と醤油とマグロで、地産地消のマグロ寿司もできるのではないか。じゃあ、米作りにチャレンジしてみようか、というのがきっかけでした」
2008年当時、地元の有志のメンバーで熊野地域の特産物を世界に売り込む活動をしていた田上氏は、さっそくチームのメンバーと共に米作りに取り掛かる。しかし、そこで分かったのはあまりにも大変な農業の実態だった。
「米屋としては、お米は安く仕入れるのが普通なのですが、実際に自分たちでやってみると、ここまで苦労して作った米がこんな値段なのかと。あまりにも労力と報酬が見合っていないと感じました。
ただ、自分たちが植えた米を秋に収穫して食べてみると、本当に美味しかった。これだけ美味しいのだから、やはりなんとかできないか。そう考えて、私の会社と農家さんとで連携して、米作りをはじめました」
商工会議所からの支援も得ながら農商工連携ではじまった「熊野米プロジェクト」。熊野米を生産してくれる農家と契約し、できあがった米は全て田上氏が相場価格よりも高値で買い取り、卸・販売を行っていく6次産業モデルだ。
田植えをする品種は「ヒカリ新世紀」に決めた。コシヒカリ系統の品種で味も良く、丈が短く倒れにくいので台風の多い熊野地域での栽培にも適している。
また、紀州の特産である梅の調味液を田んぼに撒くことで雑草の生育を抑える試みにもチャレンジ。廃棄するはずの調味液が再び稲作に使われることで、地域循環型の農業が実現できる。
一方で、地域の農家に熊野米を植えてもらうことは簡単ではなかった。40件の農家を回り、協力してくれることになったのは6件。しかし、粘り強く進めていく中で、熊野米プロジェクトは徐々に形になっていった。
何年かすると、協力農家から買い取り価格の交渉の話が上がるようになってきた。通常の相場よりも高値での買い取りはしていた。しかし、もっと自らが農業について深く知っていないと、農家の方と対等に話すことはできない。
そこで、7年前から田上氏は自ら再び米作りへ挑戦することを決めた。最初は0.5ha(ヘクタール)ほどの土地を借りて小さくはじめる。しかし、地域のルールも分かっていなかった田上氏は、近隣の農家から厳しく叱責される場面もあったという。
「『田辺の米屋が中途半端に農業をはじめた』と思われていたのでしょう。最初の頃は呼び出されて叱られたりもしました。40歳近くなって叱られるのはきつかったですね(笑)。
ただ一生懸命やっていると徐々に私の存在を認めてくれるようになって、今では『田辺の田上さんに頼んだらなんとかしてくれる』なんて言ってもらえるようになりました。自作の農地も最初は約0.5haだったのが、今では15haくらいになっています」
協力農家も今では10件まで増え、協力農家による農地も35haになった。また、田上氏を頼り、10代の青年が新規就農で働きにくることもあるという。
あらためて、農業の大規模化、そして培ったノウハウの伝承の必要性を感じた田上氏は、農業のデジタルシフトについて検討するようになる。
「今後は徐々に農業人口も少なくなっていきますし、デジタル化は重要になってくると思います。自分も作業が楽になるし、面積を広くして大規模化していくことができる。私の場合は、協力農家がいるので、生育・栽培の知見をマニュアル化していくことで、生産の安定化を図る必要もあります。
たとえば、私のところに10代の青年が新規就農で働きにくることもあります。もし彼ら・彼女らが独立したいと言ったときに、栽培マニュアルを渡してあげられれば、新規就農の入口はもっと広くなるでしょう。そして販売はうちでやるから好きに作りなさいと言ってあげることができれば出口も確保でき、安心して農業をすることができます。
私自身も初心者からのスタートで苦労しましたから、そういうマニュアルがあったら良いなと思い、そこで出会ったのが『e-kakashi』でした」
ソフトバンクの農業向けIoTソリューション 「e-kakashi」は、栽培に生かせる形で環境データを収集・分析し、最適な生育環境に導くための判断を支援するサービス。生育ステージごとに重要な生長要因、阻害要因を設定し、環境データと生育状態を紐付けて、今どんなリスクがあり、どう対処すべきか、24時間365日体制でナビゲートしてくれる。
取得したデータに、農業のノウハウを紐づけた電子マニュアル「ekレシピ」、作業指示を通知してくれる「栽培ナビゲーション」、解析結果を分かりやすいUIで表示してくれるグラフ機能も搭載している。
「作付面積が広がると、実際の作業が適期からずれてしまうことなどが生じます。『e-kakashi』は作業の適期を明示してくれるので、このままだと1週間作業が遅れてしまいそうだということが明確に分かる。そうなれば、大型の機械2台で作業しなければならない、などの対策を講じることもできます。
改善のためにトライ・アンド・エラーをしていくためにはまず基準となるデータが必要です。データがなければ、自分が改善のためにしていたことが実は逆効果だったということもあり得ます。データに基づいて改善を続けていくことで、必然的に収穫量も増えていくのではないかと期待しています。
また、そうしてできあがった栽培マニュアルがあれば、新規就農者や後継者の育成にも生かすことができます。データを継続的に取得することで、安定した米作り、そして安定した後継者育成につながっていき、ひいては熊野米プロジェクトを長く存続させていくことになるのだと思います」
現在、田上氏は裏作として栽培するブロッコリー畑で「e-kakashi」をテスト活用中。確かな手応えを感じていると言う。
来年の稲作には、熊野米プロジェクトの協力農家の田んぼにも「e-kakahi」を導入し、自宅の田んぼだけでない各地の平均値を測定していくことで、今後につながる「熊野米マニュアル」を作成していきたいと意気込む。
そして、最後に田上氏は今後の展望について、次のように語った。
「日本では農業を『きつい』とか、『儲からない』とか言うのですが、そうではないと。ただ今は野菜も米も、旬のものを安く売らなければいけない仕組みになっています。
日本の農業が元気になるためには、旬のものに付加価値をつけて高く売る仕組みが必要です。熊野米プロジェクトも、自分たちの米をブランディングしていくことで、少しでも農家さんが高く売れるようにがんばっています。
そうしているうちに、熊野米プロジェクトに参加することで、兼業農家が専業農家になったり、新規就農の希望者が来たり。私たちも少しですが日本の農業を盛り上げることに寄与できるようになってきたのではないかと思います。
今後はデジタル化を推進していくことで、後継者となる若い子たちに、農業を『かっこええなぁ』『よう儲けてるなぁ』と思ってもらえるような、背中を見せてあげたいですね」
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