概要
茨城県では、福祉相談の現場において相談内容の複雑化による業務負荷の増大や、紙資料の持ち出しに伴う情報漏えいリスクへの懸念がありました。この状況を改善するため、同県はGoogle Workspace 環境から利用できる生成AI(Gemini /NotebookLM Enterprise )とiPad を導入しました。これによって、端末にデータを残さないセキュアな環境を構築するとともに、AIによる関連情報の有効活用が可能となり、さらに音声からの記録作成の自動化で、相談記録作成時間を3割程度削減しました。AIを「パートナー」として活用しつつ最終判断は人間が行う運用を徹底し、創出された時間を県民への手厚い対面支援に充て、行政サービスの質的向上につなげています。
課題
- 福祉相談は専門性が高く、人事異動で配置された経験の少ない職員では即座の対応が難しく、経験豊富な職員への業務集中や属人化を招いていた。
- 家庭訪問時などの、個人情報が書かれた紙資料の持ち出しに伴う情報漏えいリスクがあることや、手書きメモに頼るアナログな記録作成業務が職員の大きな負担となっていた。
- 膨大な法令などをNotebookLM Enterprise に学習させ「デジタル版の参考資料集」として活用。経験年数を問わず根拠に基づいた正確な案内が即座に可能になり、対応の平準化に貢献している。
- iPad と多要素認証などにより、端末にデータを残さないセキュアなペーパーレス化を実現。相談内容の録音データをGemini で情報整理することで記録作成時間を3割程度削減。県民としっかり向き合う手厚い対面支援を可能にした。
導入サービス
- Google Gemini
- NotebookLM Enterprise
- iPad
- ビジネス・コンシェルデバイスマネジメント/シングルサインオン機能<Okta>
現場を圧迫するアナログ業務と情報漏えいリスク
茨城県は、「活力があり、県民が日本一幸せな県」という基本理念のもと、デジタル技術を活用した県民サービスの向上や職員の業務効率化を目指しています。こうした取り組みを推進する中で重要な注力領域のひとつとなっていたのが、福祉相談の現場における構造的な課題でした。プロジェクトの主担当である福祉人材・指導課の髙木氏は、当時の状況を次のように振り返ります。
「近年、生活困窮などに関わる相談内容が複雑化・多様化しており、福祉相談員には最適な支援メニューの案内と正確な記録作成が求められています。しかし、定期的な人事異動により経験の少ない職員も配置されるため、即座の対応が難しくなっていました。そのため複雑な相談には、ベテラン職員が家庭訪問や面接に同行してサポートしていましたが、結果としてベテランへの業務集中や、業務の属人化を招くという課題を抱えていました」(髙木氏)
さらに、もう一つの大きな壁が「情報漏えいリスク」です。
「現場管理者の許可のもと、家庭訪問の際に個人情報が書かれた紙の資料を鞄に入れて持ち出しており、十分取り扱いには注意していたものの書類の紛失や盗難のリスクが存在し、情報漏えいの危機感を抱えていました」(髙木氏)
このリスクを解消するため、紙ではなくオフライン型タブレットの導入も検討されました。しかし、端末内にデータを保存する運用では万が一の紛失時に同様の懸念が残り、導入には至りませんでした。
解決の糸口は「生成AI × iPad 」。セキュアな環境とスピード導入の裏側
プロジェクトの出発点は、現場からの声でした。
「当初は『紙のファイルを持ち歩くリスクをなくしたい』という現場の要望から、ペーパーレス化の検討がスタートしました。しかし、ただペーパーレス化するだけではなくて、複雑化する相談内容に適切に対応する取り組みにできないかと考えていました」(髙木氏)
そこで、生成AIを組み合わせるという一歩踏み込んだ決断に至ります。その判断の軸となったのが、「対県民への思い」でした。
「県としてはセキュリティや効率化も重要ですが、最も大切なのは県民に対する視点です。困難なケース対応が増える中で、いかに適切かつ迅速に対応できるか。その実現にAIが寄与できると考えました」(髙木氏)
具体的なサービス選定の背景について、情報システム課の秋葉氏は次のように語ります。
「総務省のガイドライン改訂に伴い県のポリシーを見直したことにより、適切なセキュリティ対策を講じることを前提に、ISMAP※1などの高度なセキュリティの認証を受けたクラウドサービスであれば個人情報を扱えるようになったことが大きな契機でした。私たち情報システム課としては、担当課が目指す住民サービスの向上を技術面から支えるため、システム的な親和性やコスト面、そして厳格なセキュリティを担保できる構成を要件として整理しました。その結果、要件を的確に満たし、すでに庁内の一部部局で導入実績のあった『Google Workspace 』の環境から利用できる生成AIである『Gemini 』 や 『NotebookLM Enterprise 』(以下、NotebookLM )が採用されました。運用面でも、多要素認証※2や暗号化などハード・ソフト両面で厳格なセキュリティ対策を講じ、端末にデータを残さないセキュアな構成の実現を技術的に支援しています」(秋葉氏)
ISMAP(Information system Security Management and Assessment Program:イスマップ):政府が導入しているクラウドサービスのセキュリティ評価・登録制度。ISMAPに登録されていれば、政府が求めるセキュリティ要件を満たしているクラウドサービスであることの証明となり、セキュリティ水準の確保や円滑なサービスの導入を進める上での指標として利用することが可能。茨城県で活用されている多要素認証は、シングルサインオン機能や端末・IDを一元管理できるMDMサービス「ビジネス・コンシェルデバイスマネジメント」で実現しています。本製品もISMAP認証を受けたクラウドサービスです。
本プロジェクトは、2025年8月中旬に契約して9月下旬に実証実験を開始、12月には本格的な利用を開始しました。
「ネットワークの構成やGoogle Workspace 、iPad の設定など各種手続きを進める必要があった点は苦労しましたが、非常にタイトなスケジュールの中であってもソフトバンクさんとは定例会や臨時会を開き、Web会議やチャットツールなどもフル活用して密に連携して、認識違いや作業漏れを防止しました。現場のニーズの解決に向け業務を深く理解しようとする姿勢に信頼感が高まり、一緒のチームとして取り組めたことが大きかったです」(髙木氏)
この言葉に、秋葉氏もシステム担当者の視点からこう続けます。
「通信回線からクラウド環境の構築、端末保守、ヘルプデスクまで、緊密な連携体制の下でソフトバンクさんに一括でサポートいただけたのが非常に良かったです。分離してしまうと問題の切り分けや『どこに問い合わせたらいいのか分からない』といったことが起こりがちなので、適切な調達手続きを経た上で、これらを一元化して任せられるパートナーを得られたことが県庁側としても心強く感じました」(秋葉氏)
この強力なサポート体制に加え、実証実験開始まで約1カ月というタイトなスケジュールを乗り切るための工夫は、システム構築の手法にも表れていました。
「完璧な要件定義に固執せず、その場の課題に応じたプロトタイプを作りながら福祉事務所のニーズに近づけていく進め方をとりました。現場の声を反映しながら、アジャイルな手法でスピーディに環境を構築できたことが成功の要因だと思っています」(髙木氏)
茨城県の生成AI利用環境(赤枠がソフトバンクが支援した範囲)
現場の心理的ハードルを下げる「伴走型支援」
新しいデジタルツールや、特に生成AIの導入にあたっては、現場の職員に「使ってみよう」と思ってもらうことが不可欠でした。現場へのスムーズな定着を後押ししたのは、県とソフトバンクが両輪で行った「伴走型支援」です。
「今回導入したGemini やNotebookLM は親しみやすいサービスだったため、まずは『触ってみる機会』を増やすことを意識しました。実証期間中、ソフトバンクさんには手厚いヘルプデスク体制に加え、対面でのロールプレイングを含めた操作研修会を複数回開催していただきました。また、Google Workspace やタブレットの使い方を分かりやすくするために、詳細な専用操作マニュアルも提供していただきました」(髙木氏)
さらに県側でも、システムを実際の業務にどう落とし込むかを定めた業務手順書や、セキュリティ手順書を独自に作成し、周知徹底を図りました。
「実証実験期間中にヒアリングやアンケートを行い、使い方が分からない職員がいることも認識していました。実際の相談事例を使った参加型研修会を通じて、『紙で回答ページを探すよりAIの方が早い』『一瞬で相談記録ができた』といった具体的なシステムのメリットを感じてもらう工夫をしました」(髙木氏)
AIは「頼れるパートナー」。NotebookLM とGemini がもたらす変化
生活保護業務では、数千ページに及ぶ膨大なマニュアルや法令をNotebookLM に読み込ませ、「デジタル版の参考資料集」として活用しています。
「前提として生活保護法という法律があり、それ以外にもさまざまな通知や実施要領、問答集、事例集など、多種多様なルールや資料があります。個別ケースの対応方針を決定する場合、これまでは随時こうした資料にあたって判断をするというやり方でしたが、AIを取り入れることで資料を探す時間が短縮され、経験年数を問わず根拠に基づいた正確な判断ができるようになりました。現在は、膨大な資料の中から根拠となる箇所を素早く特定するための補助ツールとして活用しています。また、過去の自治体事例などに基づき、AIに『潜在的な課題』を提示させる試みも試験的に行っています。AIの提示が常に現場の複雑な状況に合致するとは限らないため、あくまで多角的に検討するための補助的なヒントという位置づけです」(佐々木氏)
一方で、こうしたAIを「頼れるパートナー」として現場で使い続けるためには、学習させるデータの精度を保つ仕組みも不可欠です。NotebookLM へのデータ学習・更新プロセスについて、髙木氏は次のように明かします。
「NotebookLM への資料の追加や更新は、ITに詳しくない職員でも簡単に行える仕組みになっています。ただし、古い資料や誤った情報を入れてしまうと間違った回答が出るため、責任ある立場の者が内容をしっかり確認した上でデータを更新する手順を徹底しています」(髙木氏)
また、Gemini を活用した記録業務の自動化も大きな成果を上げています。現場で実務にあたる佐々木氏は、その手応えを次のように語ります。
「生活保護業務では、生活保護受給者を中心に、福祉相談員が家庭訪問を行い、相談者の生活状況を確認し、それをケース記録として作成します。これまでは面接しながら手書きでメモを取っていたため、主観や思い込みによるケース記録の作成や記録漏れの心配がありました。そこにGemini を活用して自動的に記録を作らせることで、詳細で客観的な事実に基づいた記録作成が可能になりました。あらかじめ用意したフォーマットをGemini のプロンプトに読み込ませて、そこに文字起こしデータを入れることでGemini がフォーマットに沿って構成をまとめてくれます。正式な記録とする前に必ず目でチェックして多少修正を加える作業はありますが、記録作成の初動にかかる時間が3割程度削減され、事務作業の効率化によって業務全体の流れがスムーズになりました」(佐々木氏)
事務作業が効率化されたことで、県民と向き合う時間にも変化が生まれました。
「クラウド上でデータを管理し、タブレット端末にデータを保存しない仕組みになったことで、情報漏えいリスクが激減し、安全性の高い業務スタイルへと移行できました。心理的・物理的な負担が軽減されたことで、生活保護受給者の言葉や表情の変化により集中できるようになり、より深い支援の検討に注力できています」(佐々木氏)
面談対応中の様子(佐々木氏)
効率化の先にある「県民サービスの向上」を目指して
茨城県が目指すのは、単なる業務効率化ではありません。
「AIはあくまで多角的な視点を持つための補助ツール(パートナー)であり、最終的な判断やチェックは人間の福祉相談員が行います。AIの回答を鵜呑みにしてそのまま伝えるようなことはしていません。
記録作成の短縮で創出された時間は、より専門性が求められる対人支援業務に充てています。具体的には、訪問や面接の頻度を上げたり、複雑な課題解決に向けて関係機関と連携・調整したりするなど、個々のケースに対する『支援の厚み』を増すための時間として活用し、県民サービスの質的向上を目指しています」(佐々木氏)
今後について、秋葉氏はこう締めくくりました。
「AIの導入はゴールではなく、『真に県民のための時間を創出する』ための手段です。事務作業の負担を減らすことで、職員が本来注力すべき『相談者に寄り添う業務』へとシフトすることを目指しています。とはいえ、最初から壮大なシステムを目指す必要はありません。全国の自治体の皆さまも、いきなり『AIありき』で進めるのではなく、例えば『紙を持ち歩くリスクをなくしたい』といった具体的な現場の声から、スモールスタートで一緒に走り出してみてはいかがでしょうか」(秋葉氏)
AIという強力なパートナーを得て、事務作業の圧迫やセキュリティへの不安から解放された茨城県の福祉現場。そこで創出された時間は、県民一人一人に寄り添う「手厚い支援」へと確実に還元されています。
現場の課題解決から始まり、やがて行政サービスの質的向上へとつながるこの先駆的な取り組みは、同じ課題を抱える全国の自治体にとって大きな道標となるはずです。
お話をうかがった方
茨城県 福祉部
福祉人材・指導課 保護グループ
髙木 正志 氏
茨城県 政策企画部
情報システム課 DX推進グループ
秋葉 健 氏
茨城県 県西県民センター
地域福祉室 境分室
佐々木 慧 氏
掲載内容は2026年3月現在のものです。
本事例での導入サービス
Google Gemini
Google の大規模言語モデルを搭載した生成AI です。テキスト、音声、画像など多様な情報を理解し、高度な推論やコンテンツ作成が可能です。
ビジネス・コンシェルデバイスマネジメント
スマートフォンやノートPCなどのモバイル端末とユーザー情報を一元管理するMDMサービスです。遠隔設定やアプリ配布、紛失時の遠隔ロック・消去が可能で、各ユーザーのID・パスワード管理やシングルサインオン機能(Okta)も提供します。