先端技術研究所 所長インタビュー

「技術の羅針盤」として
事業創出に挑む
先端技術研究所の戦略

執行役員 兼 先端技術研究所 所長

湧川 隆次

Q. 先端技術研究所が設立された経緯と概要を教えてください。

2022年4月に先端技術研究所を設立しました。当社では元々、新しい技術を導入したサービスを世の中にいち早く展開することを得意としてきました。その一方で、「研究開発」は事業から少し遠い活動だと捉えられており、必ずしも積極的ではありませんでした。ビジネスのスピード感を重視する中で、必要な技術はそれを持つ企業への投資や買収によって獲得することが有効な選択肢だと捉えていたことが、その背景にありました。しかし、現社長の宮川がCTO(Chief Technology Officer)だった時代に「研究開発は会社の未来に向けた重要な投資である。ちゃんとやるべきだ」という方針を示しました。この方針を受けて、2016年に先端技術開発本部を組織し、私が本部長となりました。
先端技術開発本部時代の主な成果としては、空飛ぶ基地局「HAPS※1」の研究開発を挙げることができます。当社は、HAPSの研究開発で世界をリードしており、関連する米国特許権の保有件数では世界最多※2となっています。また、2018年には自動運転とMaaS(Mobility as a Service)の時代を見据えて、トヨタ自動車(株)との共同出資会社であるMONET Technologies(株)の設立をリードし、交通の未来の創造と社会課題の解決に取り組んでいます。
2021年4月に宮川が社長に就任したことに伴い、2022年4月には社長直轄組織となり、「先端技術研究所」に名を改めました。現在では、「AI-RAN」や「HAPS※1」、自動運転、量子コンピューターなどのテーマで、70を超えるプロジェクトが進行し、150人超のメンバーが従事しています。

[注]
  1. ※1HAPS(High Altitude Platform Station):成層圏を長期間飛び続ける無人航空機を通信基地局のように運用し広域エリアに通信サービスを提供するシステムの総称
  2. ※2PatSnap社の「PatSnap Analytics」を用い、CPC(Cooperative Patent Classification)H04B7/18504が付与された権利存続中米国特許権を案件単位で集計(2025年5月8日時点)

Q. ソフトバンクの先端技術研究所と他社の研究所との主な違いは何ですか?

一つ目は、研究所としてのゴール設定の違いです。当社の先端技術研究所では、「技術を市場に出す」、つまり「事業創出」までをゴールとして設定しています。この点が他社と大きく異なります。多くの他社の研究所では、博士号を取った研究員が何百人といて、自らの興味に基づいて研究を進め、論文を発表することが評価につながるといったことが一般的ではないかと思います。もちろん、当社でも論文を出すことを評価し、学会で最優秀論文として選ばれているケースが多々ありますが、それが最優先ではありません。
二つ目は、研究員に対する事業創出への動機づけです。例えば、私はよく研究員に「技術を開発するだけでなく、その技術がどのように収益を生むのか、常に考えろ。PL(損益計算書)を描け」と言っています。研究員がその技術に最も詳しく、最も思い入れがあるわけですから、その研究員に簡易的な事業計画を描かせてみるのです。どのようなビジネスモデルにするのか、どのように世の中に出していくのかまで考えておかないと、事業部門に持っていったときにその技術は事業化されないと考えるからです。
三つ目は、人員構成です。研究所は単に研究員だけで構成されているわけではありません。約半分が事業開発や法務のメンバーで構成されており、技術と事業の両面から迅速にアプローチできることが特長です。研究員が作成した簡易的な事業計画で「いけそうじゃないか」となれば、こういったメンバーも関わり、詳細な検討に入ります。市場規模がいくらなのか、細かな償却費を積み上げると原価はいくらになりそうなのか、法的にリスクの見落としはないか、といった観点で事業計画をより具体化していくのです。当社は非常にコスト管理が厳密なので、「数十億円の研究開発予算を追加で下さい」とだけ言っても、なかなか予算確保が難しい部分があるのですが、具体的な事業計画を持っていって「数百億円の収益が見込めるので数十億円の事業予算を付けてほしい」と提案すると、「それだけの事業計画があるのであれば、進めても良い」という意思決定が得られやすくなります。
四つ目は、他社とのパートナーシップの活用です。全て自前で開発する方針ではなく、パートナーと組んでスピードや品質を向上させることを重視しています。「事業創出」を念頭に、当社の研究所がコア技術として取り組むべきことと、パートナーと組むべきところを精査し、スピーディーな研究開発を心掛けています。

Q. そのような研究が可能な背景は?

社長の宮川の考え方が背景にあります。私は大学で教員を務め、自動車メーカーの研究所でも論文を書き、技術開発をずっとやってきたので、以前は「良い技術さえあれば、何もやらなくても儲かるのではないか」と思っていました。しかし、当社に入って痛感したのは、「技術は事業成功のためのトリガーにすぎない。その後にどういったビジネスモデルを作り、どのようにリソースを確保して、どう訴求していくかが重要だ」ということです。社長の宮川と長く一緒に働く中でこの考え方を学び、先端技術研究所の所長として実践している形です。

Q. 「AI-RAN」というコンセプトはどのようにして生まれたのでしょうか?

「AI-RAN」のコンセプトは、仮想化(通信専用のハードウエアで行っていた処理をソフトウエアで実現すること)の際に発生する膨大な計算処理に対処する過程で生まれました。
2019年に楽天モバイル(株)が、同社のネットワーク上で仮想化を実現したと発表し、通信業界では大きな話題となりました。仮想化は、モバイルトラフィックの需要に応じて基地局を柔軟に拡張できるという観点やコストの観点、機能追加がソフトウエアアップデートで容易に可能であるという観点などからメリットが大きいのですが、二千数百万件(当時)のスマートフォン契約数を有する当社の膨大なトラフィックを処理できるほどには、技術として成熟していないというのがわれわれの評価でした。
では、今後どうすれば仮想化が実現できるのかを考えたときに、着目したのがGPUでした。GPUはグラフィックス処理で培われた技術を有しており、その並列処理能力が膨大な無線機の信号処理に適していると考えたからです。当初はGPUの性能が十分ではなく、なかなか思うようなパフォーマンスがでませんでした。実現に向けて試行錯誤を続けていたところ、米NVIDIAが高性能なGPUを搭載したAI計算基盤を発表したので、「これを使ってAIで無線機の信号処理を行う仕組みを作れば、凄いものができるのではないか」という仮説ができました。これが「AI-RAN」のコンセプトが誕生した契機です。

Q. 米NVIDIAとの密接な連携に至った経緯を教えてください。

米NVIDIAとの連携のきっかけは、超低遅延という5Gの特長を生かしてクラウドゲーミングサービスを提供しようというプロジェクトから始まりました。そのプロジェクト自体はあまりうまくいかなかったのですが、同社との関係を深めるきっかけとなりました。また、昔からの知り合いが同社に移り、GPUを通信向けに活用する取り組みを進めるということを聞きつけ、一緒に取り組もうと声をかけました。
よく「孫さん(ソフトバンクグループ(株) 代表取締役 会長兼社長執行役員)がJensen Huangさん(Founder, President and CEO, NVIDIA)と関係が深いので、孫さんの一言で始まったんでしょ」と誤解されるのですが、「AI-RAN」はボトムアップで始めたプロジェクトです。同社内でこのプロジェクトが立ち消えそうになったときでも、ずっと人・金の両面からリソースを提供し続け、数年にわたって一緒に取り組み続けてきたので、現場同士の信頼関係は非常に強固です。
このように、米NVIDIAとともに世界をリードできるポジションに至ることができたのは、当社のカルチャーに依るところが大きいと思います。GPUを通信向けに使うというアイデア自体は、当社以外も持っていたと思います。しかし、そのアイデアを検証し、「AITRAS(アイトラス)」という「AI-RAN」の統合ソリューションプロダクトを作り上げ、神奈川県藤沢市内ですでに実証実験環境を実装しているというスピード感は、素早い意思決定を重視し、必要な領域に大きくリソースを投入するという当社のカルチャーがあったからこそ実現できたと考えています。

神奈川県藤沢市内に実装した「AI-RAN」の実証実験環境

神奈川県藤沢市内に実装した「AI-RAN」の実証実験環境
神奈川県藤沢市内に実装した「AI-RAN」の実証実験環境
神奈川県藤沢市内に実装した「AI-RAN」の実証実験環境

Q. 「AITRAS」の概要と、それがソフトバンクの成長にどう寄与していくのか、お考えをお聞かせください。

2024年11月に発表した「AITRAS」は、私たちが提唱する「AI-RAN」のコンセプトを具現化した当社オリジナルの統合ソリューションです。下記の図は「AITRAS」を構成する要素ですが、さまざまなパートナー企業と協業しながら作り上げていることがお分かりいただけると思います。無線機とRAN L2/L3ソフトウエア※3を富士通(株)に、仮想化基盤※4の一部を米Red Hatに、基盤となるハードウエアとして用いるAI計算基盤などを米NVIDIAに協力してもらっています。これは、「全て自前で開発する方針ではなく、パートナーと組んでスピードや品質を向上させることを重視する」という、われわれの方針がよく表れている例ではないかと思います。
一方で、通信事業者としての品質や運用効率を担保するために、システム全体の最適化を行うオーケストレーターや、NVIDIA AI AerialプラットフォームをベースとしたRAN L1ソフトウエア※5などは、当社が主体となって開発しています。この連携により、キャリアグレード(通信事業者として求められる高い品質水準)の安定性と性能、省電力化、AIおよびRANへの効率的な計算リソースの配分を前述の実証実験環境で実現しています。
この「AITRAS」の開発によって当社の成長に貢献できる要素は主に二つあります。一つは、自社のモバイルネットワークインフラに「AITRAS」を導入することで、モバイルネットワークを「AIネイティブ」なものにしていきます。隣接した基地局のAI同士が連携して自律的に最適な通信品質を提供できるようになるほか、モバイルネットワークを小型のAIデータセンターとすることで計算リソースを外販できるため、新たな収益源を生み出せると期待しています。もう一つは、この「AITRAS」をグローバルの通信事業者へ外販していくということです。これまで通信業界では、ネットワーク投資をコスト削減の観点から考えがちで、通信業界のイノベーションの停滞が懸念されていました。しかし、「AITRAS」では、通信インフラを用いてAIによる新たな収益(アップサイド)を生み出す可能性が拓けます。これは投資を促進し、通信業界全体の持続的な発展とイノベーションの再活性化に貢献できる、非常に前向きなアプローチだと考えています。自社ネットワークへの導入およびグローバルの通信事業者への外販は、最短で2026年度中を目指して取り組んでいきます。

[注]
  1. ※3RAN L2/L3ソフトウエア:データ送受信の交通整理を行うソフトウエア
  2. ※4仮想化基盤:通信専用のハードウエアではなく、汎用サーバー上で通信機能などを動かすためのシステム基盤
  3. ※5RAN L1ソフトウエア:通信の最も基本的な部分を担う、電波の送受信など物理的な信号処理を担うソフトウエア

「AITRAS」を構成する要素と開発企業

「AITRAS」を構成する要素と開発企業

Q. 2024年2月に「AI-RAN Alliance」を設立しましたが、その狙いは?

「AI-RAN」のコンセプトは非常に大きな可能性を秘めていますが、通信事業者である当社だけでは実現までに時間がかかってしまいます。そこで、基地局ベンダーなどを巻き込んで業界全体でまとまり、大きなイノベーションを起こしていこうということで「AI-RAN Alliance」を立ち上げました。特に、Nokia(フィンランド)やEricsson(スウェーデン)、Samsung(韓国)といった大手基地局ベンダーにも参加してもらうことが重要でした。なぜなら、通信事業者としては、基地局ベンダーに健全な競争を行ってもらい、最適な技術を柔軟に選択できるということが大事だからです。こういったアライアンスに基地局ベンダー3社が初めから参加するということは非常に珍しいことです。しかし、「AI」という誰もが無視できないテーマ性を訴求するとともに、われわれが先行して開発してきた、実際に実証環境で動いている「AI-RAN」の成果を示すことで、たった3カ月程度で彼らを説得し、Founding Memberになってもらうことができました。その結果、2024年2月のMWC Barcelona 2024(世界最大級のモバイル関連の展示会)で「AI-RAN Alliance」を大々的に発表した際には、大きな注目を集めることができました。
また、Alex Jinsung Choi氏の「AI-RAN Alliance」への参画も、業界では驚きをもって受け止められました。同氏は、「O-RAN (Open RAN) Alliance」において、2022年6月から2024年6月までの2年間議長を務め、そのリーダーシップで業界のイノベーションをけん引してきた人物です。その彼を、私自ら「AI-RANやろうぜ」と口説き落としたのです。
この「AI-RAN Alliance」の発表から1年以上が経ち、100を超える企業/団体が参加(2025年7月現在)するまでに成長しました。今後も増加を見込んでおり、エコシステムが急速に拡大していっていると実感しています。素晴らしい枠組みができましたので、業界全体で「AI-RAN」への取り組みを加速させていきたいと思います。

Q. 「AI-RAN」以外で、期待している先端技術研究所の研究領域は?

「AI-RAN」以外でこれから特に期待しているのは、「光無線通信」と「量子コンピューター」です。
「光無線通信」は、従来の通信用の電波と比べ、より高速大容量かつ低遅延な通信が実現できると期待されている技術です。また、非常にビームが細いことにより、干渉が発生しにくく、通信の際には傍受されにくいという特長があります。この技術を導入すると、地上と低軌道衛星の間のみならず、低軌道衛星とHAPS※1間でも大容量の通信が実現できますので、より自由で柔軟な通信ネットワークを宇宙空間に構築できるのではないかと考えています。
「量子コンピューター」については、私たちが量子コンピューター自体を開発するのではなく、現在利用可能な量子コンピューターを徹底的に使いこなし、「何ができるのか」を深く理解しようとしています。実際に使ってみると、まだ実用には課題が多いと感じていますが 、技術革新のスピードが非常に速いので、2030年頃までには商用化につながる道筋をつけたいと考えて研究開発を進めています。

Q. ソフトバンクの中長期の成長に向けた意気込みを教えてください。

中長期の成長に向けた先端技術研究所の役割は、ソフトバンクという大きな船が進むべき未来を示す「技術の羅針盤」になることだと考えています。当社は、かじ取りがすごく早いことに定評があると思いますが、規模も大きくなってきたので、実際に方向転換するには時間がかかります。先端技術研究所がミスや失敗を恐れずに先導し、他社の後追いではなく自分たちで新しい技術を作っていく中で、未来に何があるのかを見極めながらガイドしていきたいと思っています。
また、今後の中長期的な成長のテーマとなる「シーズ(種)」をより多く出していくことも役割だと思っています。「AI-RAN」のように、将来の事業の柱となりうる「種」を見つけ出し、育て、事業化への道筋をつける、すなわち「0を1にする」ことが役目です。それを事業部門が「1から10、100」へと大きく成長させていくことにつながるのです。2001年からのADSL技術によるブロードバンドの普及や、2008年のiPhone 3Gの日本初導入のように、技術の力で世の中の常識を変え、その中で新たな市場を創り出してきたのが当社のDNAだと考えています。この研究所から次々と新しい事業の種を生み出し、社会実装につなげることで、常に社会に新しい価値を提供し、中長期的に成長し続けるための原動力となりたいと考えています。

湧川 隆次