なぜ、農業IoTのデータ活用は上手くいかなかったのか? | 鹿児島県南大隅町e-kakashi導入事例

2020年4月14日掲載

  • 鹿児島県南大隅町で農業IoTソリューション「e-kakashi」が実装された。
  • これまでの農業データの利活用では、設計や分析が不十分であった。
  • 農業データがノウハウ化されることで、生産性が向上し、新たな農業ビジネスを生む環境が整った。

目次

保有している大量のデータを上手く活用できず、「不良在庫化」する。このありがちなデータ活用への悩みは、スマート農業の分野でも同じだ。農業の場合、生産者とデータを扱う者が「分かりあえない」関係になってしまっていることが少なくない。

農業IoTソリューション「e-kakashi」は、そんな両者の溝を埋めるべく、情報工学にも精通した農学系の博士が全国各地へ出向き、ワークショップを開催している。生産者の経験と勘に基づいたノウハウをデータで伝承していくため、現場では何が行われているのか。鹿児島県南大隅町でのワークショップの様子をレポートする。

口頭伝承がもたらす、農業技術の差

九州の最南端、北緯31度線上に位置する鹿児島県南大隅町。太平洋、東シナ海、鹿児島湾(錦江湾)に面し、漁業が盛んなのはもちろん、ブーゲンビリアなどの亜熱帯植物が花を咲かせる温暖な気候は農業にも適している。

大隅半島から見える鹿児島湾(錦江湾)と桜島の景色 大隅半島から見える鹿児島湾(錦江湾)と桜島の景色

鹿児島県は全国4位の生産量(2018年)を誇るピーマンの産地。南大隅町でも、高温を好むピーマンの栽培が盛んだ。海沿いの景色や温暖な気候に誘われ、南大隅町では東京や横浜、大阪といった都市部からのIターンによる新規就農者が徐々に増えているという。

高校卒業後、間もなく長崎県佐世保市から移住した松元真也さんは新規就農から4年目。普通高校のデザイン科出身で、農業を学校で学んだ経験がないため、自らの12a(1,200㎡)のビニールハウスの手入れをしながら、先輩就農者の下に頻繁に出向き、指導を仰いでいる。南大隅町の生産者の中でも熟練したベテランと若手では収穫量に違いがあるという。

ビニールハウスでピーマンの手入れをする松元真也さん ビニールハウスでピーマンの手入れをする松元真也さん

「私の場合、平均すると毎年13t(130,00kg)程度の収穫量です。若手とベテランではやはり収穫量に差があり、下は10tから上は16tまで。約1.5倍の違いがあります。販売は全てJAが担当しており、当然収穫量に収入は比例することになります。

JAの指導員や県の普及員の方からは病原菌や害虫に関する情報提供が主で、具体的な栽培技術に関しては近隣の生産者の方から学ぶことが多いのが現状です」(松元氏)

南大隅町役場の里中義郎氏は新規就農者が徐々に増えている現状と今後の課題について次のように語る。

左)経済課 増田祐介氏 右)経済課 課長 里中義郎氏 左)経済課 増田祐介氏 右)経済課 課長 里中義郎氏

「南大隅町の課題、これは全国どこでも共通のものだと思いますが、生産者の高齢化や後継者・担い手不足です。南大隅町は鹿児島県内で最も高齢化率が高く46%程度。一方で、人数は少ないながらも最近はIターンやUターンで徐々に新規就農者が増えつつあります。

今後、さらに新規就農者を増やすためには、ICTを活用しながら『南大隅町の農業はかっこいい』という発信を行い、最終的には生産者の所得向上を目指さなければなりません」(里中氏)

さかのぼれば日本で農業がはじまった弥生時代から最近に至るまで2000年以上の間、日本の農業は口頭伝承によって受け継がれてきた。農業に科学的にアプローチするようになった今も、先輩就農者の経験と勘に基づいたノウハウの伝承は対面でのコミュニケーションや現場での指導が基本だ。

もし、IoTでデータを取得し、経験やノウハウを可視化することができれば、農業の生産性の大幅な向上に寄与できる可能性がある。

南大隅町で推進される農業IoT

南大隅町は、南国情緒溢れる自然豊かな町であるほかに、もう1つの顔がある。それがスマートシティ化の推進だ。近隣の肝付(きもつき)町、錦江町との合同によるMaaSプロジェクト、5G・4G通信インフラの整備、ICT・IoT教育の充実──。

そして現在、第一次産業の成長を目的に進めているのが、総務省「地域IoT実装推進事業」として行われているスマート農業だ。その一環として農業IoTソリューション「e-kakashi」を活用し、栽培・環境データの可視化に取り組んでいる。

「e-kakashi」は、農場で取得した環境データを可視化するだけではなく、生育ステージごとに重要な生長要因・阻害要因を設定。環境データと紐付けて、いまどんなリスクがあり、どう対処すべきか、24時間365日体制で最適な生育環境へナビゲートする、というサービスだ。

取得したデータに基づき、農業のノウハウをまとめた「ekレシピ」、作業指示を通知してくれる「栽培ナビゲーション」、解析結果を分かりやすいUIで表示してくれる「グラフ機能」を搭載している。

今回、実証事業として「e-kakashi」を導入した南大隅町では、町内のピーマンの生産者を対象に「e-kakashi」のIoTセンサを設置。博士号を持ち農業情報学を専門とする戸上崇氏(学術)・山本恭輔氏(農学)による設計に基づき、データを収集した。2019年11月にセンサを設置し、2020年2月末までデータの計測を実施。2020年1月にはデータ分析のワークショップが行われた。

南大隅町で行われたワークショップの様子 南大隅町で行われたワークショップの様子

戸上崇氏は今回のワークショップを次のように振り返る。

「ピーマンの場合、摂氏32度を超えると花が落ちやすい(落花)など、温度に関わる文献は多数あります。そのせいか、これまでの農業では温度を中心として、良い悪いを判断しがちでした。しかし植物の生育には光合成に必要な光と水と二酸化炭素など、さまざまな要素が複雑に影響を与えます。

今回の実装事業は、収穫中であったため、環境データの分析を中心に実施。温度、湿度、日射量、土壌水分量、地温という1次データと、温湿度の関数から導かれる飽差※や露点温度※などの2次データによる分析をしました。

ワークショップでは光合成が活発化する理想の環境条件などを、具体的に数値で示しながらアドバイスをしました。その結果、生産者の皆さんからは個別に相談を受けるなど、今回の取り組みへの興味につながったと思います」(戸上氏)

※飽差 … 空気中にどれだけ水蒸気の入る余地があるかを示す指標。植物の光合成に強く影響を与える
※露点温度 … 空気が冷えた時に結露が始まる温度。病害の発生を予測する指標の一つ。

これまで、農業のデータ利活用はなぜ上手くいかなかったのか?

戸上氏は、これまでも全国各地で同様のデータ分析に基づくコンサルティングを行ってきた。福岡県宗像市ではe-kakashiユーザの売り上げが前年比18%増になるなど、目に見える結果が現れているケースもある。実際に土地に出向き、生産者と触れ合いながら「e-kakashi」の普及活動を行っていく意義を、戸上氏は次のように語る。

ソフトバンク株式会社 測位ソリューション部 担当部長 兼e-kakashi課 課長 戸上崇,博士(学術) ソフトバンク株式会社 測位ソリューション部 担当部長 兼e-kakashi課 課長 戸上崇,博士(学術)

「スマート農業という言葉が一般的になり、今ではかんたんにデータを計測できるようになりました。スマート農業ブームを背景にデータを計測している自治体や生産者は増えていますが、難しいのはその先です。計測したデータをどう活用するのか。その解がなく、どう分析すれば良いのかも分かりません。

『e-kakashi』には農業情報学の研究で博士号を取得した博士が2名在籍しているため、体系的なデータと植物の情報があれば、どういう切り口とアルゴリズムで分析をしていけば良いかの知見やアイディアがあります。

また、私たちのデータ分析の方法には2段階あります。第1段階は、理論値と実際の現場とのデータ比較。環境データを基に、植物科学の見地から成長しやすい環境にあるかどうかを判断します。第2段階は、ベテラン生産者と若手生産者の比較。ベテラン生産者は、経験や勘に基づいて、理想的な環境になるように制御していることが多いためです。

データの利活用が浸透するためには、現場の皆さんにデータがきちんと栽培に役立つということを感じていただく必要があります。そのため、実際に土地を訪れ、生産者の皆さんに協力いただきながら分析し、結果をお伝えすることで、理解を深めていくお手伝いをさせていただいています」(戸上氏)

生産者 松元氏のビニールハウスに訪れる、農学博士の山本恭輔氏 生産者 松元氏のビニールハウスに訪れる、農学博士の山本恭輔氏

データ伝承で「メイド・イン・ジャパン」から「メイド・バイ・ジャパン」へ

全国各地での普及活動、多種多様な作物への対応、生育環境をコントロールしにくい露地栽培への対策――。一歩ずつ課題をクリアしながら、日本の農業のIoT化を推し進める「e-kakashi」。生産性向上という当面の目標の先に見据えるのは、グローバルでの日本農業の競争力強化だ。

「今後、グローバリズムの波が農業の世界にもやってきたとき、チームジャパンで海外と競争をしていかなければなりません。そのとき、『情報』こそが武器になると考えています。

『メイド・イン・ジャパン』は日本で作ったものを輸出するという考え方。しかし、農業分野においては、輸出の過程で、傷んでしまったりとさまざまな課題があります。

e-kakashiに溜まった日本の生産者の知見や技術を使って、遠隔で現地栽培できるようになれば、それは『メイド・バイ・ジャパン』。日本の生産者のノウハウで栽培された作物が、現地で販売されることで、知財を持つ日本の農家に収益が還元されるという仕組みも可能です。また、現地での雇用も促進されれば、相手国を助けることにもつながるかもしれません。

農業分野におけるデータ利活用には、まだまだ大きなポテンシャルがあると考えています」(戸上氏)

後記

世界的にも評価が高い日本の農業技術。IoTによるデータの蓄積と分析に基づくノウハウ化は、現状課題の解決だけでなく、農業に新たなイノベーションを起こす可能性も秘めている。農業が未来を切り拓いていくために、農業の現場でデータとの新しい関係性を構築できるかが問われている。

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