このインタビュー記事は、実際のCM撮影に立ち会ったCMプランナーが「現場の熱量をCMで伝え切れただろうか?」という想いから急遽追加取材し実現した企画です。第二回は、CMに出演した須賀俊介に加え、東日本大震災を仙台で経験し、復旧活動に携わった足立佳代を迎えています。届け、この想い…!!(スタッフT)
関東技術推進部 構築推進課所属。持ち運び衛星アンテナの管理や点検、光ケーブルが遮断された場合の手配を行う。CMでは衛星アンテナを背負ったご本人!
東北ネットワーク技術部 技術推進課所属。基地局建設から障害発生時の復旧対応まで、一気通貫して行う基地局のプロ。災害時は、持ち運び衛星アンテナと無線機を接続するためのデータ作成やエリア復旧のための局選定、現地対応コントロールの取りまとめなどを行う。
幼少期に水害で2度、家の浸水を経験。1階は泥で埋もれてしまい、当時地域のボランティアの方々に救われたことが強く心に残っている。自然災害や社会課題に大きな関心を抱く駆け出しCMプランナー。
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まずは何を運ばれているか、改めて教えていただけますか?
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アンテナと発電機、それに発電機を動かすための燃料や備品ですね。アンテナはおよそ26kgあります。
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撮影現場でも担がせていただきましたが、ずっしりとしたその重さに驚きました。
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でも以前と比べたら、とても軽くなっているんです。
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えっ…!
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以前は、そもそも一人で持ち運べる重さやサイズではなかったんです。誰でも持ち運べるようにと改良を重ね軽量化されました。少しでも早く電波を届けたいという想いからです。
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この重さなら、車が通れない山奥や土砂災害などで道が遮断された地域でも、アンテナを担いで運んでいけます。断線した通信ケーブルの代わりに衛星の電波を自動で捉えて、基地局を復旧させるんです。
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重さへのこだわりがすごい…!CMを見直すと、また感じ方が変わりそうです。
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2024年1月1日に起きた能登半島地震でも、持ち運び衛星アンテナが活躍したと伺いました。どれくらいのスピードで電波をつなげられたのでしょうか?
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地震発生が夕方に近かったのですが、翌日には現地入りし、一部エリアにアンテナを設置して電波を届けました。
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そのスピード感はどのように達成されたのですか?
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北陸からはもちろん、全国から支援に駆けつけました。
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アンテナは合計で何カ所くらい設置されたのでしょうか?
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103カ所です。その他にも、移動基地局車や可搬型基地局など、さまざまなソリューションを組み合わせて対応を行いました。
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当時を振り返ったときに、苦労されたことや難しかったことがあれば教えてください。
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能登半島地震では、地割れが起きている道や大雪が積もっている道もあり、現場に到着するだけでも困難でした。一刻も早く駆けつけたいという強い想いはありますが、復旧作業にあたる職員の安全がまずは第一です。現地の状況を写真で送ってもらい、どうするか決めるのは難しい判断でした。
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持ち運びアンテナは、今はもうすべて回収されたのでしょうか?
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いいえ、まだ7台のアンテナが電波を届けています。今回は地盤の隆起がひどく、伝送路の途絶が続いている場所もあります。そういったところではまだ衛星ネットワークを利用し続けています。
※2024年9月15日時点
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須賀さんはご自身の電波を復旧させるという役割を、どのようなお仕事と捉えられているのでしょうか?
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現代社会で、連絡が取れないのはとても不安だと思います。1秒でも早く復旧させることで、お客様に快適に暮らしていただきたい。企業として当たり前にやるべきことではありますが、そういう意味ではこの仕事は、非常時に安心を届ける仕事なので、使命感を持って取り組んでいます。
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今の言葉、すごく胸に響きました…。電波はつながって当たり前だと、つい思ってしまっていたかもしれません。
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お話を伺い、災害対策にかけるお二人の並々ならぬ想いを感じました。
その想いにつながるきっかけがあれば、教えていただけますか?
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私のきっかけは、2011年に起きた東日本大震災です。
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足立さんは当時、仙台で被災されながら復旧に当たられたと伺っています。
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当時は衛星ソリューションが今ほどありませんでした。そんな中、通信を早く復旧させたいという想いで、自家発電機のための燃料を自衛隊に調達しに行ったり、人や物の手配などを全力で行っていました。避難所にはパラボラアンテナを持ち込み、電波を届けました。
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当時、印象に残っているエピソードはありますか?
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なかなか電波がつながらない時間が長かったのですが、電波がつながった瞬間、被災地の方から『ようやくつながった』と感謝されたんです。公衆電話もつながらない。家族の安否もわからない。得るべき情報も得られない。そんな中で電波がつながることで、誰かの役に立てた。あの忘れられない経験が、災害対策に取り組む原動力の一つです。
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東日本大震災から今年で13年が経ちましたが、企業としての変化は感じますか?
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震災以降、災害訓練に対する熱量がすごく変わったと思います。ハードウエア面ソフトウエア面ともにいろいろな取り組みが加速度的に進みました。この持ち運び衛星アンテナも、東日本大震災を教訓にできたものです。その他にCMでもご紹介しているドローンによる無線中継システムなど、新たな災害時のソリューションも生まれました。社会のインフラとしてソフトバンク一丸となって災害に備えています。
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そもそものお話をお伺いしたいのですが、災害が起きるとどうして電波がつながりにくくなるのでしょうか?
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様々な要因がありますが、停電の長期化などによって基地局が止まってしまうことが大きいです。また伝送路も多くが有線接続のため、どこかが切れてしまうと通信や通話の音声が届かなくなってしまいます。
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初歩的な質問ですみませんが、基地局って街中にもあるのでしょうか?
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例えば、東京だと何万もの基地局があります。基地局というと郊外の鉄塔を想像される方も多いのですが、広場やビルの上など、皆さんの身近な場所にあります。
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基地局って、てっきり山の中にしか無いものかと…。これから街を歩くときに気にして見てみます。けど、それだけ基地局がたくさんあると、地震や台風などのリスクにさらされる可能性も高そうですね。
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災害時は、情報の入手や安否確認などで電波を使う人が一気に増えてつながりにくくなっていることも考えられます。通信各社が自社の公衆無線LANサービス「00000JAPAN(ファイブゼロジャパン)」を無料で開放する場合もあるので、周辺で使えるWi-Fiがないか探してみてください。
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最近、自然災害が起こるかもしれないという緊張感が高まっています。もし災害時に電波がなくなった時、私たちはどう行動すればいいのでしょうか?
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まずは機内モードにして消費電力を抑え、画面の明るさを下げる、使っていないアプリを終了するなどの対策を行ってください。
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あとは小型の蓄電池など、充電できる環境を身近に備えて、自分の中の防災意識を高めていくことが必要かなと思っています。
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最後に、まだお伝えできていない想いがあれば、教えていただけますか?
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災害から1秒でも早く通信サービスを復旧させる、という熱い想いとスピードは、ソフトバンクが一番、と自負しております。「1秒でも早く」を合言葉に、これからも迅速な対応をめざしていきます。
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CMでは持ち運び衛星アンテナを「届ける」ところにフォーカスして撮っていただいていますが、実際は万が一の災害に備えた無数の事前準備が重要です。例えば、災害時にどこの基地局から優先的に復旧させるべきか何万もの基地局を対象にシミュレーションしたり、倉庫で保管している復旧用機材が問題なく使えているか点検しに行ったり、そして、これはずっと続けていることですが、保全会社さまや海上保安庁などの国の機関との災害訓練を全国で実施したり。日々の努力で少しでも効率的な復旧を可能にしていきたいです。
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あとこれは個人的な話ですが、今日、足立さんのお話がとてもよくて、刺激になりました。同じソフトバンクの社員ですが、僕までモチベーションが上がりました。
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最後の最後まで激アツ…!
素敵な場に立ち会えることができて私も嬉しいです。お二人共ありがとうございました。CMでも熱が伝えられるようがんばります!
つながるのが当たり前の電波。でも電波は、人の心や安心をつなぐ重要なインフラだと実感。災害が起きてからの復旧には、万が一に備えて、事前準備を積み重ねる。当たり前の電波だからこそ、陰ながら生活を支える姿に胸を打たれました。まさか、お話中に涙ぐまれるインタビューに立ち会えるとは…。私まで、グッときちゃいました。CMだけでは伝わらない「裏側」の第二回目、皆さんにお届けできたでしょうか?