今年、球団創設80周年のメモリアルイヤーを記念して、試合開催日にさまざまなイベントや企画が実施されている福岡ソフトバンクホークス。そのイベントの一つとして、4月25日(水)の西武ライオンズ戦では、「どんたく博多デー」が開催されました。その様子を、ちょっとだけご紹介しちゃいます。
この日のドームは博多一色。いたるところが“明太子カラー”に
この「どんたく博多デー」、毎年5月3日、4日に開催される「博多どんたく港まつり」にちなんで行われる、今年で5回目となった恒例の人気イベントなんです。平日のナイトゲームにも関わらず、満員近い3万7,921人のファンがスタンドを埋めました。
まず、試合前のグラウンド上に登場したのは「博多どんたく港まつり」でパレードに参加する「どんたく隊」の皆さん。それぞれの仮装姿で音楽に合わせて踊りを披露してくれていました。
HKT48渕上舞さん、始球式に挑戦!
いよいよ試合が始まります。ここで登場したのが、3月にソフトバンク本社で開催した激励会で花束贈呈にも参加してくれたHKT48の渕上舞さん。なんと、初めての始球式に挑戦! 試合直前の独特の緊張感の中で、スタジアムを盛り上げてくれました!
7回の攻撃が始まる際にファンが上げるジェット風船もこの日は“明太子カラー”に。試合は残念ながら敗れてしまいましたが、試合後には博多に伝わる一本締め「博多手一本」の拍子に合わせて花火が上がり、「博多どんたく港まつり」の期間中に運行予定となっている「にしてつ花自動車」がグラウンド上でお披露目されました。鮮やかな光の演出にドーム内は幻想的な空気に包まれ、1日の締めくくりとなりました。
初めての始球式に挑戦した感想は・・・
アッという間でした。ずっと小さい頃から憧れていたので、始球式に挑戦させていただいて本当に光栄でした。
自己採点は80点ですね。ノーバンを目指していて、もうちょっとだったので。投げる前に10分くらい肩慣らしをさせていただいたんですが、実際にマウンドに立ったら全然違った感じというか、初めてマウンドに立たせていただいたというのもあると思いますけど、味わったことのない緊張感でした。AKB48総選挙よりもこっちの方が緊張したかもしれないですね。
3年前にヤフオクドームで行われた総選挙で初めてランクインさせていただき、今度のナゴヤドームでの総選挙にいい弾みをつけられたかなと思うので、この勢いで頑張りたいです!(渕上さん)
文:福谷佑介(スポーツライター)
内川聖一選手2,000本安打達成おめでとう!
5月9日(水)の西武ライオンズ戦で大記録を達成した内川聖一選手に、2,000本安打を達成した喜びの声を取材してきました。
記録目前での14打席の不調。そして、涙が止まらない記念の一打へ
ホークスの4番打者でキャプテンも務める内川選手が、バッターの金字塔とされる通算2,000本安打を達成しました。80年を超えるプロ野球の歴史で51人目という大記録です。
大記録達成後に出た最初のひと言は「ホッとして、全身の力が抜けました」。
産みの苦しみを味わった内川選手。今年はかつてない絶不調で、記録に王手をかけてから14打席も足踏みをしました。
「周りの期待や注目を重圧に変えてしまった。自分が自分じゃないような、何か身動きが取れないような味わったことのない感覚。まだまだ弱いなと思い知らされました」(内川選手)
記念の一打は、センターから右方向への美しいヒット。まさに内川選手の代名詞といえる打球でした。
「安堵感や球場全体の興奮、そして改めて湧き上がってきた喜び。いろいろな感情があってグラウンドでは涙が出なかった」と大記録達成の瞬間を振り返っています。
そのまま代走を送られて交代しベンチに戻ると、笑顔の仲間たちが出迎えてくれ、泣いているスタッフも。裏通路に入った瞬間、内川選手の涙腺もたちまち崩壊。「しんどかった、やっと…」と胸の奥から言葉が溢れ、しばらく涙が止まらなかったそう。
努力し続けると1つ、また1つと結果が出た
あの野村克也氏から「プロ野球が始まって以来の右の好打者」と称されていましたが、内川選手自身の感覚は少し違っていたようです。
「子供の頃からずぬけた存在でもなかったし、プロでもレギュラーを取るまでに8年かかった。足が速いとか、守備がうまいわけでもない。秀でたものがなかったから打撃に対して本気になれた。ホームランをたくさん打つわけでもないから、右方向へヒットを打つ感覚も大事にしてきた」(内川選手)
挫折し、野球を諦めかけたことは何度も何度もあった内川選手。
「でも、そういう時に限ってやめさせてくれない出来事が常にあった。野球が僕を離してくれなかったんですかね。頑張ることの大切さを感じたし、自分にそれを言い聞かせながら前へ進んできた。野球っていいなと思った。自分の感じたそのような部分をこれからも見せ続けていきたい。特に未来のプロ野球選手である子どもたちへ」(内川選手)とすでに野球人生における次なる高みを目指している様子でした。
(掲載日:2018年5月14日)
文:田尻耕太郎(フリーライター)