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患者の目線や臨床の現場をVRで体感。滋賀医科大学が取り組むVRによる看護教育

医療の分野では、AIによる診断や手術のシミュレーションにVRを活用する取り組みをニュースなどで目にする機会が増えていますが、これからの医療従事者を育てる教育の分野でも、VRの技術が活用され始めています。

滋賀医科大学 医学部の看護学科で実施されている、VR教材を使った体験的学習を取材してきました。

目次

一番近くで患者に寄り添う看護師に必要な“想像力”の重要性

看護師になるには、大学の看護系学部・学科や看護専門学校などで教育を受け、看護師国家試験に合格する必要がありますが、普段、看護学生がどのようなことを学んでいるのか、滋賀医科大学 医学部看護学科 臨床看護学講座(精神) 河村奈美子教授にお話を聞きました

話を聞いた人

相樂喜一郎

国立大学法人滋賀医科大学 医学部看護学科 臨床看護学講座(精神)
河村 奈美子 教授

精神看護学に関する講義や演習、実習を担当。研究テーマとして、患者―看護師関係、看護の治療的コミュニケーションと教育、発達障がいをもつ子どもの支援などに取り組む。

大学の看護学部・学科や看護専門学校では、どのようなことを学ぶのでしょうか。

大学でも専門学校でも、看護師国家試験に必要な科目を学ぶという点では同じです。看護師はさまざまな診療科に配属されますので「この病態の患者さんにはどう看護していくのが良いのか」など幅広い分野の看護を学ぶとともに、患者さんを理解し適切なケアができるよう実際の現場での実習なども行われます。

看護実習とはどのようなことを行うのでしょうか。

領域によって異なりますが、私が教授を務める臨床看護学講座(精神)では、在籍する学生全員が、2週間の実習を行います。実習では、病院や施設で患者さんを1人受け持ち、患者さんの状態を分析・評価するアセスメントや看護計画の作成を行うなど、実際に看護を提供します。他にも、訪問看護の専門領域では、訪問看護ステーションに行き、利用者さんのご自宅で看護を提供する実習を行います。

しかし、コロナ禍により、実習先の病院や施設で一度に受け入れられる実習生の数が減少したため、病院や施設で従来通り2週間の実習を実施することが難しくなり、現在は病院実習を1週間、学内での実習を1週間実施しています。

病院や施設での実習機会が減ることで、学生の学びにはどのような影響があるのでしょうか。

2週間の実習の中で、学生は担当する患者さんの看護計画を作成しケアの実践を通して、急性期の患者さんの症状が安定していく様子を体感したり、退院間近の患者さんの通院治療に向けた準備を支援することにより、短期間の実習ではありますが、実際に医療現場で働くイメージや自信を身に付けていきます。しかし、実習期間が半分の1週間となると、患者さんが回復するプロセスの体験や、医療現場で働くイメージや自信の醸成といった一定のゴールにたどり着くには少し足りません。

また、学内で実施する1週間の実習でも、ペーパーペイシェント(模擬患者)を立てて模擬面談などを行いますが、実際の現場では視野を広く持ち、患者さんに何が起こっているのかを患者さんの視点で考える必要があります。患者さんに直接触れることで、この方は今どんな気持ちなのか、といったことへの想像力を実感として養うという意味で、やはり難しいものがあります。

そういった事情がある中で、360度のVR映像を使った体験型のVR授業を導入した滋賀医科大学。VRによる看護実習とはどんなものなのか、実際に授業の様子を見学させていただきました。

患者のリアルをVRで体感。看護教育にVR教材を導入

臨床看護学講座(精神)ではこの日、統合失調症患者の症状を体験するVR教材を使った授業が行われていました。

映像では、待合室で診察を待つ患者さんが見ている幻覚や、医師の診察中に聞こえてくる幻聴が再現されています。360度の映像なので、まるで自分が患者さん本人になったような感覚を体験できます。今回は精神医学講座の尾関祐二教授にもご協力をいただきました。

診察中の患者の目線や幻聴などの症状を再現

このような映像を教材として利用することで、どんな学びがあるのでしょうか。

看護師は、現場で患者さんとコミュニケーションを取りながら看護計画を立てる際、どの症状をより優先してケアしていくか、優先順位をつけます。

患者さんが一番つらいと感じる症状の優先度を高く設定するのですが、幻覚や幻聴を自分では経験したことがないため、理解しやすい身体的なつらさを優先してしまうことがあります。自分の意志とは関係なく聞こえてくる幻聴や幻覚がどのぐらい苦痛なのかバーチャルでの体験を通して想像し、少しでも患者さんの置かれている状況に気づいてもらいたいです。

その気づきが看護計画にも反映され、患者さんにどう気分転換してもらうか、その症状から少しでも離れられる時間をどう作るか、という方向にもケアを膨らませることができ、看護の質を向上させることができます。

患者が過ごす環境や目線を体感できるVR教材

今回使用したのは統合失調症患者の体験映像でしたが、他にもVR教材があるのでしょうか。

保健師課程のVRの作成は公衆衛生看護学講座の伊藤美樹子教授がご担当されました。授業では、新生児を育てている家庭のご自宅を3Dモデリングで再現した映像を使っています。保健師は、母親のメンタルヘルスのチェックや子育ての状況などを確認するため、新生児のいる家庭を訪問します。このような家庭の様子を再現した映像を使うことで、新生児訪問の際、母親と子どもの様子や自宅の状態から、子育ての状況の課題などを見つける視点を、体験的に学ぶことができます。

また、他にも長期療養中の要介護患者さんのご自宅を再現したものや、不用品などの物が多く散在している状況の家の教材映像も作成しました。これらの教材を体験することで学生自身の固定的で限定的な価値観だけで多様な人々の生活を判断するのではなく、その人の生活様式や価値観などに想像力を働かせながら課題を見つけ、解決する力を身に付けてほしい、というのが教材を製作した目的です。

実際に授業を受けた学生はどう感じたのでしょうか。話を聞いてみました。

幻聴が、目の前にいる人の声を遮るほど大きく聞こえてくるとは思っていませんでした。向かい合って話をしていても、その人には幻聴による別の情報が入ってきていて、その情報を処理するのに混乱しているかもしれない、と想像ができました。やはり実際に体験してみないと分からないことも多いので、もっとさまざまな症状を体験できたらと思います。

実習で患者さんに接したことはあるのですが、患者さんが話す症状について、実際はどのような感じなのかが自分でもよく分かっていませんでした。今日のVR教材を通して、幻聴がどのように聞こえるのか、身を持って体験することができてよかったです。予備知識としてある程度理解をしておくことで、同じような症状で苦しむ患者さんがいたときに接しやすくなると思いますし、親身になって対応できると思います。

互いの視点を共有し、話しあえる素材に

今後、VR教材をどのように活用していきたいですか?

学生の反応はアンケートなどを見てみないと分からない部分はありますが、教育側の目線で言えば、どういう目的でこの教材を使い、知識の定着につなげられるかが課題だと思います。

教材を通して体感した教師・学生それぞれの気づきについて、いかにディスカッションを進めていけるかにより、効果的な教材にも、さらっと見るだけの教材にもなってしまいます。まさに私たちの力が問われるものだと思います。

この教材を、学生だけでなく病院の心理療法士や薬剤師など他職種の方が見た時に、また違う気づきがあるかもしれません。そんな気づきを共有して、お互いが学べる場ができると良いと考えています。
例えば、熟達した看護師が難なくケアを実践している裏には、経験によって培われた視点や想像力、直感力があると思いますが、学生や新人看護師は、自分とどう視点が違うのか、などを知ることは難しいです。そういった視点の違いや気づきを同じ教材を見ることで共有し、話し合える素材になっていくことを期待しています。

360°映像と立体音響を駆使し、リアリティを追求したVR教材に

これらのVR教材は、河村教授監修の下、撮影から編集までソフトバンクが制作を担当しました。なぜVR教材を制作することになったのでしょうか。撮影から編集まで教材制作に携わった担当者に話を聞きました。

VR映像教材の制作を担当したソフトバンク株式会社 テクノロジーユニット 5G&IoTエンジニアリング本部 関西IoT技術部
(右)小嶋祥吾
(左)平野敏範(バーチャルリアリティー技術者)
(中央)大吉亜紀子(バーチャルリアリティー技術者)

滋賀医科大学と共にVR教材を制作することになった背景を教えてください。

コロナ禍で外出機会が減少する中、小中学生向けの社会科見学、高齢の認知症患者を持つ介護者さん向けの教材としてVRを活用できないか検討していました。われわれはVR動画を撮影し制作することはできるのですが、専門知識が不足しており、なかなか前に進まない状態でした。一方で河村先生はアイデアはお持ちでしたが、VRの撮影知識がなかった。今回ご相談いただいたのは、まさに運命の巡り合わせだと思い、一緒にチャレンジすることになりました。

VRならではの表現など、制作時にこだわったポイントはありますか?

VR動画を教材として使う際に一番こだわったのは、通常の映像教材より、いかにリアルに見せるか、リアルに体験させるかという点です。 撮影の際は、患者さんの目線の高さや音の聞こえ方などを細かく設定し、忠実に再現させることでリアリティを追求しています。特に音声は、幻聴や耳鳴りなどを再現するにあたり、Ambisonicsという技術を使い、音が聞こえてくる方向を正確に再現しており、視覚だけでなく聴覚もリアリティを追求した教材になっています。

  • Ambisonics:立体的な音響を再現する音響技術の一種

文科省スキームD発表会で取り組みをプレゼン

2022年10月31日に開催された、文部科学省が推進するデジタライゼーション・イニシアティブ(スキームD)のイベント「University Pitch and Conference」に河村教授が登壇し、最新デジタル技術を用いた高等教育の高度化アイデアとして、VRによる看護実習の取り組みをプレゼンテーションしました。

会場の一角に設置された展示ブースでは、VR教材を体験する来場者も

(掲載日:2023年3月14日)
文・編集:ソフトバンクニュース編集部

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