
10月17日に公開を控えた映画『ストロベリームーン 余命半年の恋』の完成披露試写会が9月22日に都内で開催されました。キャストの皆さんや監督が登壇した舞台挨拶では、中条あやみさんが思い出し泣きしてしまう一幕も。杉野遥亮さんが「皆さんの心を動かせる映画ができた」と語ったこの映画、どのような物語なのでしょうか。
ところで、「なぜソフトバンクニュースでこの映画を紹介?」と不思議に思った方もいるかもしれませんね。実はこの映画の製作委員会の一員としてソフトバンクも名を連ねているのです。「ムムム、これは気になる…」ということで、今回いろいろと取材させてもらいました。インタビューの様子を紹介する前に、この作品の魅力をご紹介します。
原作は、令和イチ “泣ける” とSNSで話題になった純愛ストーリー
皆さんは「ストロベリームーン」という言葉を耳にしたことはありますか? 6月に見られる満月のことを「ストロベリームーン」と呼ぶのですが、これは正式な天文学用語ではなく、アメリカ先住民が毎年6月に野イチゴを収穫する風習に由来することから付けられたとされています。また「ストロベリームーン」という名前が醸すイメージから、「恋が実る」「恋愛運が上がる」といった恋愛に関するジンクスもあるとされています。
映画『ストロベリームーン 余命半年の恋』の原作となった芥川なお氏のデビュー小説『ストロベリームーン』(すばる舎刊)は、「好きな人と一緒にストロベリームーンを見ると永遠に結ばれる」という伝説を背景に、高校1年生の佐藤日向と、病を抱え余命半年と宣告された桜井萌の純愛を描いた物語です。入学式の日に出会った2人は、病を隠しつつ交際を始め、限られた時間を全力で生き抜きます。
萌と出会ってからわずか3時間で付き合うことになった日向。徐々に萌に惹かれていく日向の気持ちの変化や病気を隠しながら日向と向き合う萌の思い、真実を知った日向の葛藤、緻密に描かれる心の動きに引き込まれます。SNSでも「水たまりができるほど泣けた」などと多くの感想が寄せられた一冊です。

小説「ストロベリームーン」(すばる舎刊)
大分県中津市出身の兼業作家 芥川なお氏のデビュー作品。
著者の地元である大分県中津市を舞台に、高校1年の男子・佐藤日向と入学式の日に出会った美少女・桜井萌が自身の病気を隠して交際を始め、ピュアな思いを紡ぎ、幸せで切ない時間を過ごす2人の姿が描かれる純愛小説。
その小説が、ヒューマンドラマのレジェンド脚本家・岡田惠和氏と新進気鋭の若手実力派監督・酒井麻衣氏の手によって実写映画化されました。原作の世界観を踏襲しつつも「13年後」の物語が加わった、オリジナルストーリーです。そして主人公の桜井萌役には、初の長編映画主演となる當真あみさん。そして佐藤日向役には、2024年に日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するなど、期待の新星の齋藤潤さん。さらに、13年後の佐藤日向役を杉野遥亮さん、萌の親友である高遠麗役を中条あやみさんが演じ、フレッシュで豪華なキャストがそろいました。
- 映画『ストロベリームーン 余命半年の恋』公式サイト
(松竹株式会社)

おじさんの目にも涙。世代を問わず、自分の人生に重ねられる作品
本作品を取材する中で、一足先に映画を鑑賞させてもらいました。筆者はいわゆるおじさん世代の人間で、最近はこのような純愛ストーリーの類いから距離を置いていたのですが、この作品には正直に言って心をわしづかみにされました。鑑賞後は、まるで心が洗われるような感覚さえ残ったのです。
主人公・桜井萌(當真あみ)は、小さい頃から体が弱く学校に通えておらず、居場所は自宅の部屋という少女。そこに、自営業で唐揚げ屋さんを営む母の手伝いで、高遠麗(池端杏慈)が萌の自宅に訪れると、初対面にも関わらず、着ている服を交換したりトントン拍子で友だちに。萌の人懐こさがそうさせるのか、現代の若者たちはそんな感じなのか、スピードの速い展開になかなか理解が追いつかず戸惑いを感じつつも、話が進んでいきます。そうして訪れた入学式の日、萌は以前病院の帰りに見かけた少年、佐藤日向(齋藤潤)と思いもよらぬ形で出会います。体が弱く、学校にも思うように通えなかった萌が、高校に通うことを決意し、自分のやりたいことを早送りで叶えようとする。そんな萌の姿に、親友の麗も協力し、日向との純愛を育んでいきます。しかし一方で、萌の病状は…

映画にはたくさんの “泣きどころ” があるのですが、筆者が思わず涙したのは、萌の父・桜井康介(ユースケ・サンタマリア)と母・美代子(田中麗奈)が大号泣したシーン。以前、萌が「私あそこがいいな」と指差した霊園予定地の看板。その抽選会に参加した康介が見事に当てたものの、そのときの父・康介の気持ち、そして電話でそれを聞いた母・美代子の気持ちに共感せずにはいられず、もう涙腺が崩壊しました…


その後は完全に親目線。娘を守りたい気持ちと、娘の意志を尊重したい気持ち、そのはざまで揺れる姿に、自分だったらどうするだろうと考えさせられます。また家族愛だけでなく、友情もこの作品を支える大きな柱です。萌と親友・麗の友情、日向を応援するフーヤンとカワケン。周囲の人々の温かさがストーリーを豊かにし、単なるラブストーリーにとどまらない “ヒューマンドラマ” として響いてきます。世代ごとに泣きどころが異なるからこそ、誰が観ても自分の人生に重ねられる作品なのだと思います。
映画を先に観るべきか? 小説を先に読むべきか?
映画には、役者の皆さんの演技や音楽、さまざまな映像演出の力があります。小説では行間から想像するしかない場面も、映像として表現されるからです。後から小説を読んで感じたことですが、小説では萌と日向の気持ちが中心に描かれているのに対し、映画ではこれに加えて、萌の両親や親友の麗、日向を応援する友人たちの思いまで、周囲の人々の気持ちが伝わってくる、そんな演出が随所に感じられました。


「“今” は純愛ものに興味・なじみがない」という方でも、自然に物語に入っていけるという意味では、映画を先に観るのが、筆者のようにこの作品に触れるきっかけになるかも知れませんね。
そして、映画を観た後に小説を読んでみると、驚くことに小説の中の萌や日向の描写が、映画の萌や日向の姿で思い浮かんでくるのです。それほど、映画のキャストや演出が小説の描写とシンクロしている、ということだと感じました。
映画になるほど話題になった作品ですから、小説を先に読んだという方も多いと思います。映画は小説のパラレルワールド版だと思って観ると良いかもしれません。というのも、小説で登場したあの人が、映画では… という設定変更がされているからです。とはいえ、小説の雰囲気そのまま。萌と日向を取り巻く純愛ストーリー、その周囲の人々の思いが、小説以上に何かを感じさせてくれる作品になっています。

映画を先に観るべきか? 小説を先に読むべきか? どちらも「あり」だと思います。小説から入った方は映画を観てから再び小説を読んでみる、映画から入った方は小説を読んでから再び映画を観てみる、そんなリピーターになると、また新たな発見があるかもしれません。
前述のように、筆者は純愛ストーリーの類いの作品を積極的に観るタイプではなかったこともあり、この作品に触れたのは映画が先でしたが、小説を読むきっかけになりました。小説のシナリオを知った後に再び映画を観たらどのような感動が得られるか、もう一度自腹で映画を観に行って試してみようと思っています。
とにもかくにも、このピュアすぎる映画を観て、読者の皆さんにも心洗われる感覚をぜひ味わっていただきたい、そう思えるような作品です。
そうそう、映画を観に行く際は、ハンカチではなくタオルを忘れずに!
(掲載日:2025年9月30日)
文:ソフトバンクニュース編集部
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