ソフトバンクグループでは、公益財団法人 東日本大震災復興支援財団の「『あの日』を忘れない宣言」の趣旨に賛同し、皆さまと共に「チャリティホワイト」など、さまざまな支援を行ってきました。
「被災地の今」では、支援先である非営利団体からの活動レポートや被災地の現状を紹介しています。
ツール・ド・東北 2013 in 宮城 三陸
11月2日・3日、宮城県にて東日本大震災からの復興支援ならびに震災の記憶を未来に残していくことを目的に、被災地を自転車で走るイベント「ツール・ド・東北 2013」が開催されました。
株式会社河北新報社、ヤフー株式会社が主催となり、全国から集まった1,300人以上の参加者が、それぞれの想いを胸に抱きながら、津波の被害に遭った沿岸部を疾走しました。参加者は午前6時半から、60km、100km、160kmの3つのコースに分かれ、大会のメイン会場である宮城県石巻市にある石巻専修大を順次出発しました。沿道では旗を手にした市民らが参加者へ大きな声援を送っていました。
また、大会のメイン会場にあるソフトバンクブースでは、被災地の高校生を対象にした米国への短期留学「TOMODACHI ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」に参加した石巻市在住の高校生約10人が主体となり、自身の被災体験や夢をお題としたトークセッション、作成したポスターを用いて石巻の魅力を伝えるイベントを行いました。
ブースには2日間を通して、230名以上の方にお越しいただきました。この大会がきっかけで初めて被災地を訪れた方も多く、来場された方の中には高校生たちの被災体験を聞き、涙を流される方もいました。また、「大変な経験をしながらも、高校生が懸命に、そして必死に考え、夢を持って歩む姿に感動した」「高校生が積極的、かつ主体的に行動、活躍していて石巻の未来に希望を持てました」といった感想も寄せられ、多くの方と交流を持つことができました。
今回、ブースのリーダーを務めた石巻市の高校2年生の山田はるひさんは「私たちが震災を体験して成長した姿や、石巻のいいところをもっと知ってもらいたいです!」と熱い想いを語ってくれました。
また、本大会に使用された大会PR動画は、「TOMODACHI ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」に参加し、将来、映画監督になりたいという夢を持つ、高校2年生の三品万麻紗さんにより作成されたものです。この動画は、三品さんが監督、インタビュアー、ナレーターを兼ねて作成し、同プログラムに参加した岩手、宮城、福島3県の高校生のインタビューを中心に構成されており、地元愛を熱く語る高校生たちを取り上げました。
震災から2年8ヵ月。
石巻市には目立った瓦礫はなくなったものの、復興は道半ばという現状があります。
一方で、さまざまな苦労を乗り越え、復興に向けて自らできることを、と実際に行動している高校生たちもいます。
撮影場所:宮城県
撮影日:2013年11月
木材から大工さんまで「オール大槌」のシェアファクトリーが完成
あの日から3回目の冬が訪れようとしています。
津波で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町では、ようやく被災エリアへの土盛りがはじまり、元々あった中心市街地の再生に明るい兆しが見えてきました。朝から町には大型のダンプカーの走る音、土木作業やガレキの仕分けに使われる重機の音が鳴り響いています。
そんな大槌町の小鎚地区に2013年10月31日、新たな「ものづくり」の拠点ができました。
その名も「和リングプロジェクトシェアファクトリー」。 震災直後の6月から、ガレキと化した建物の柱などを材料に、木製のキーホルダーを手作りしながら、全国で販売してきた団体「和リングプロジェクト」の新しい本拠地です。
敷地は120坪。ここに5坪の屋内作業場、屋根付きの屋外作業場が5坪、さらに地元の人たちが集える10坪のフリースペース(板の間)、そして10坪の事務所スペースの木造1階建ての建物ができあがりました。10月31日には無事に開所式も終え、これまで活動の場としてきた釜石市只越町の作業場と合わせて、木製キーホルダーや家具の製作を続けていくということです。
ちなみに、建物に使われている木材はガレキを薪にして全世界に販売してきた「復活の薪」で知られる大槌町の市民団体「吉里吉里国」が切り出した杉材で、製材には同じく大槌町の碇川製凾と上田製材所、土台の基礎作りも地元の小松組、大工は町に7人いる棟梁全員が共同で建てました。
震災直後から地域に住み着きながらプロジェクトを引っ張ってきた代表の池ノ谷伸吾さんは「大工の棟梁は1棟にひとりが普通ですが、今回は町にいる棟梁全員が集まってくれたんです。まさに『オール大槌』の建物です」と熱く語ってくれました。それだけ、町のみんながこの建物の建設に関わりたくてしかたがなかった、そんな想いが手に取るように伝わってきます。
池ノ谷さんの話によると、このシェアファクトリーでは、主に家具の製作をしていくそうです。「被災地の仮設住宅は、実は寸法が中途半端で既製品の家具が置きにくいんです。だから、家具はすべてオーダーメイドでぴったりサイズを作ることにしました」と池ノ谷さん。何かと住みにくいと言われる仮設住宅を、少しでも住みやすくしていこうというわけです。被災地にいるからこそ見えてきたニーズをすくい取りながら、さらに事業につなげ、継続的な雇用を生み出しています。
撮影場所:岩手県上閉伊郡大槌町
撮影日:2013年10月
3年ぶりの原町高校文化祭
9月7日・8日、福島県南相馬市内の福島県立原町高校で、3年に1度開かれている文化祭「柏曜祭」が開かれました。学校から駅前までの約2kmの道のりを仮装行列が往復し、校内では生徒が趣向を凝らしたステージや模擬店を出店する地域の一大行事で、今回もたくさんの人が足を運び、大成功のうちに幕を閉じました。
3年に1度の文化祭、つまり震災後初めての文化祭です。
現在、原町高校へ通学している生徒は全員が震災後に入学しています。特に今の3年生は、震災直後に入学したため、原町高校の震災後の歴史と共に歩んできました。原町高校は震災後、東京電力福島第一原子力発電所から20~30km圏内で、大量の放射性物質の放出などに備えて、屋内退避や避難の準備をしておくよう求められた「緊急時避難準備区域」に指定され、本校での授業は中止となりました。
そのため、相馬市と福島市に「サテライト校」を設けての授業となり、彼らの高校生活は別の校舎でスタートし、毎年開かれている行事なども、生徒がバラバラなため行えませんでした。
文化祭の前、生徒会長の高校3年生・牛来新(ごらい あらた)くんと、実行委員長の高校3年生・高野里瑚(たかの りこ)さんに、文化祭PRのため臨時災害放送局南相馬ひばりFMに出演していただきました。
今回の文化祭のテーマは「彩幻~新たなる幕開け~」生徒の個性を彩りとして、幻のようにきれいな文化祭にしたいという思いを込めて「彩幻」という造語を作り、先輩からの伝統を受け継ぎながらも、震災を機に新しい伝統を作っていきたいということで「新たなる幕開け」と名付けたそうです。(高野さん談)牛来くんは「生徒たちがバラバラになってしまった苦しい状況を乗り越え、やっと柏曜祭を迎えることができました。震災が私たちに与えたのは苦労だけではなく、原町高校の団結を与えてくれた。柏曜祭では、この団結力が存分に表れていると思います」と力強く、話してくださいました。
3年の時を経て蘇った、原町高校の伝統と新しい伝統。今回の原町高校文化祭の成功は、彼ら・彼女らが震災後さまざまな苦労を乗り越え、そして沢山の支援に支えられ大きく育った結果と言えそうです。
撮影場所:福島県南相馬市
撮影日:2013年9月
(掲載日:2013年11月8日)