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津波で失った学びの場を提供するコラボ・スクール 2015年1月 東日本大震災 被災地の今

ソフトバンクグループでは、公益財団法人 東日本大震災復興支援財団の「『あの日』を忘れない宣言」の趣旨に賛同し、皆さまと共に「チャリティホワイト」など、さまざまな支援を行ってきました。

「被災地の今」では、支援先である非営利団体からの活動レポートや被災地の現状を紹介しています。

津波で失った学びの場を提供するコラボ・スクール

宮城県牡鹿郡女川町

コラボ・スクールは、東日本大震災の津波により家を流され、仮設住宅暮らしとなった子どもたちに落ち着いて学べる場を提供したいとの思いから設立されました。
2011年7月には、特に津波の被害が大きかった宮城県牡鹿郡女川町(住居倒壊率82.6%)で避難所として使われていた校舎を借りて「女川向学館」を設立し、同年12月には、岩手県上閉伊郡大槌町で第2校目となる「大槌臨学舎」を開校しました。

津波で失った学びの場を提供するコラボ・スクール

本2校は、学びの場を提供するとともに、学習指導と心のケアを行っています。2014年12月時点で約150名の小中学生・高校生がコラボ・スクールを使用しています。

2014年12月2日に女川向学館で開催された特別授業では、こどもたちの「共に創る力」を育むワークショップを開発する社会貢献活動「CAMP」を行うSCSK株式会社の方を講師として迎え、小さなコンピューター「ピコクリケット」を利用して、ロボットを動かすプログラム作りが行われました。当日参加した小学生からは「作るのは難しかったけど、ロボットが上手に回って良かったです!」といった感想が挙がりました。コラボ・スクールでは、多様な価値観を育めるようにさまざまな学習プログラムを取り入れています。

コラボ・スクールの芳岡 孝将さんは、これまでの活動と今後の抱負ついて「震災後3年が経過して、女川町では町の様子が日々変化し、子どもを取り巻く環境も大きく変わりました。コラボ・スクールは、そのような複雑な環境の中にあっても「学びたい! 成長したい!」という子どもの純粋な思いに応え続けたいと考えています。」と語ってくださいました。
「震災という苦しく辛い試練を乗り越えた子は、誰よりも強く優しくなれるはず」という思いで、夢に向かってたくましい歩みを続ける子どもたちをこれからも応援し続けます。

津波で失った学びの場を提供するコラボ・スクール

被災地の“放課後学校”コラボ・スクール(認定NPO法人カタリバ)

撮影日:2014年12月

復興を願い100名が集まった「ふるさと大槌会2014」

岩手県上閉伊郡大槌町

2014年11月30日、都内のホテルで「ふるさと大槌会2014」が開催されました。
ふるさと大槌会は岩手県上閉伊郡大槌町出身の首都圏在住者が中心となり、1987年に発足して以来、年1回の総会と交流会を開催していましたが、東日本大震災によって、ふるさと大槌会の名簿は全て津波で流されてしまいました。震災後は名簿を復活させて役員を中心とした有志が集まり、被災した故郷を支援する活動を続けています。

復興を願い100名が集まった「ふるさと大槌会2014」

2013年には東京都中央区有楽町や岩手県盛岡市で震災写真展「リメンバー大槌」を開催するなど、多くの方々に被災の状況を知ってもらう活動をしています。

今年のふるさと大槌会では、岩手県の郷土料理である「ひっつみ汁」(練った小麦粉を入れた汁物)を振る舞うため、岩手県立大槌高等学校の復興研究会から1・2年生の6名が会場で調理をしました。開会に際し、2年生の千葉 陽斗君が「私は大槌町が好きです。ひっつみ汁を食べて故郷を思い出してください」とあいさつして、大槌町の出身者やゆかりのある約100名が舌鼓を打ちました。出席者からは「懐かしい。ふるさとの岩手を思い出す」「これを一番楽しみにしていた」「ひっつみ汁を作った高校生から、『自分たちは大槌町の未来を背負うんだ!』という気概を感じ、頼もしく思った」といった感想が寄せられました。

ふるさと大槌会の奈須 喜久さんは「今後も大槌町出身で首都圏在住の方々と故郷の大槌をつなげるために活動を続けていきます」と今後の抱負を語りました。

地元岩手の郷土料理を食べながら大槌町のより一層の復興を願う。ふるさと大槌会は、大槌町と大槌町を離れて暮らす方々の心をつなげる大切な機会となっています。

復興を願い100名が集まった「ふるさと大槌会2014」

撮影日:2014年11月

3.11 TOHOKU 応援はつづく ~忘れない、あの日を。つなげよう、未来へ。

「そのとき、つながるということ」 東日本大震災から10年、進化し続けるソフトバンクの災害対策

(掲載日:2015年1月9日)