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ブロードバンドへの挑戦 ~ソフトバンク平成史①~

ブロードバンドへの挑戦 ~ソフトバンク平成史①~

ヤフー代表取締役社長の井上雅博氏(当時)と共に「Yahoo! BB」開始の記者会見に登壇

「平成」がまもなく終わり、「令和」として、また新たな時代を迎えようとしています。令和2年(2020年)にソフトバンクは創業40年を迎えます。

今日から全4回にわたって、平成の時代と共にソフトバンクの激動の30年を振り返ります。

目次

昭和の創業期からインターネット事業に参入するまでの歩み

昭和56年(1981年)、福岡で産声を上げた日本ソフトバンク株式会社(当時、以下「ソフトバンク」)。創業者の孫正義自らが信じた「情報革命」への道を、がむしゃらに、ひたすらまっすぐに追い求め、平成の時代を駆け抜けてきました。

コンピューターソフトウエアの流通事業と出版事業から出発したソフトバンクが、当時掲げたビジョンは「パソコンソフトの流通業を通じて、世の中にコンピューターが浸透することで、“デジタル情報革命”を起こす」というもの。社名はソフトウエアが集まる「銀行」のような役割を果たす会社ということで、“ソフトバンク”に決定。今までの常識とは異なるアプローチで業界を疾走するソフトバンク流のビジネスは、創業地の福岡から東京に進出して本格的に動き出しました。

創立から平成16年まで使用されたロゴ

ソフトバンクは、創業期に金融、出版、製造などあらゆる分野の多くの方々に支えてもらいながら、独自のソフトウエアの流通システムを構築し、IT関連の雑誌・書籍の発刊を通して、国内のパソコン普及に大きな役割を果たしました。

ソフトバンクの「恩人感謝の日」とは?

ソフトバンクは創業記念日を設定せず、ゴールデンウィークの連休中にある平日の1日を「恩人感謝の日」として独自の休日にしています。この日は、ソフトバンク創業時にまだ何も実績のないソフトバンクをさまざまな面で支えていただいた恩人の方々に対して、1年に1回、ご恩を改めて思い起こし、永く感謝の意を捧げようという意図で「恩人感謝の日」としています。

創業期のソフトバンクは、この恩人の方々の存在なくしては成り立たなかったといっても過言ではありません。「日本に情報革命を起こす」との高いビジョンを掲げ、初期の事業は、資金もお客さまも何のノウハウもなくゼロから手探りで出発。その過程で出会った恩人の方々による数々の支援を受け、何とかソフトバンクは出発し、事業を軌道に乗せ、大きくすることができたのです。

ソフトバンクはその原点を忘れず、恩人の方々への謝意を表する姿勢は変わらず持ち続けます。

「布石を打つ」10年、「地図とコンパス」を手に入れる

平成2年、ソフトバンクは、日本ソフトバンク株式会社からソフトバンク株式会社に社名を変更しました。(平成27年にソフトバンクグループ株式会社に名称変更)日本中が好景気を謳歌したバブル時代を経て、事業が軌道に乗ったソフトバンクは本格的なM&Aに着手します。

並行して平成4年に店頭公開による株式の上場、平成6年には東証一部上場を果たし、資本市場からの資金を得ながら積極的な買収に打って出ます。

その出資先は、世界最大のコンピューター展示会、米国出版社の展示会部門、国内の金融機関、パソコン部品メーカーなど多岐に亘りました。特に展示会を運営する企業への投資目的については、IT関連情報がいち早く収集できるという理由で、「地図とコンパスを持つこと」と孫は独自の表現をしました。海千山千の中から“ダイヤの原石”を発見するための「地図とコンパス」を持ったソフトバンクが将来有望なベンチャーが集まる展示会で発掘したのが、検索エンジンを手掛けるヤフーでした。平成8年、米国ヤフーとの共同出資によりヤフー株式会社(以下「ヤフー」)を設立します。

ソフトバンクはこの年を「インターネット元年」と位置づけます。前年にインターネット接続機能が搭載されたマイクロソフト社のOS「Windows 95」が発売され、パソコンやインターネットが普及する起爆剤となったことで、アメリカで隆盛するインターネットの波がいよいよ日本にも押し寄せてくる時代になりました。

平成6年以降、ネットバブル全盛の頃にソフトバンクが手掛けた大型M&A案件について、後年、その結果について厳しく評価される事があります。しかしながら、ベンチャー育成を目的としたナスダック・ジャパンの創設、インターネット時代を見据えた映像コンテンツ事業への進出のほか、インターネット関連の子会社を立ち上げるなど、現在ではもう当たり前のサービスとして利用されている事業への投資は、ネット時代を見据えた早すぎる布石だったのです。

ブロードバンドへの挑戦

インターネットという大きな波は、発祥地であるアメリカを越えて瞬く間に世界に広がりました。まさに、ネットワークによってつながった世界は、ひとつのパラダイムシフトを迎えます。

ソフトバンクも創業から10年を経て、ヤフーを足掛かりにインターネット事業へと軸足を移していきます。平成6年以降、独自の嗅覚による企業への投資でネット関連企業をグループ内に増やし、インターネットを中心とした事業を展開していきます。

ネットバブルが終焉しミレニアムを迎える中、ソフトバンクは新たな挑戦に臨もうとしていました。平成11年、当時の政府はIT社会の実現を目指す構想として「e-Japan」戦略を発表しました。ソフトバンクは国内初の商用検索サイト「Yahoo! JAPAN」を中心にネット関連の事業に次々に進出しようとする中で、当時はまだ、「e-Japan」が目指す超高速インターネットの整備を待つ“インフラ利用者”の側の立場にいました。

その頃、ネット先進国のアメリカではADSL(Asymmetric Digital Subscriber Line:非対称デジタル加入者線)という新しい技術が誕生しており、それは当時日本国内で主流だったISDNよりも高速通信が可能で、しかもコストが安く抑えられるというものでした。それから日本でも従来の低速な通信(ナローバンド)に対し広帯域な高速通信(ブロードバンド)普及へのニーズが高まるようになると、イー・アクセス株式会社や株式会社アッカ・ネットワークといったADSLサービスを提供する通信ベンチャーが数多く登場するようになり、情報革命を目指すソフトバンクもついにADSLサービスの提供者として名乗りを上げることになりました。

ADSL事業は、孫が一部の専門家たちと秘密裏に準備を進めていたもので、平成12年に社運を賭けた事業を立ち上げる際、「この革命に参加したいものは、明日までに名乗り出よ!」と宣言して初めて社内で明らかにし、事業のメンバーを募ったのでした。この宣言の約3カ月後、平成13年6月にソフトバンクはADSLを使ったブロードバンドサービスへの参入を表明し、同年9月から「Yahoo! BB」の名称でブロードバンド総合サービスを開始し、日本のインターネットは価格とスピードの競争時代に突入することになります。

「ブロードバンド」で平成12年「新語・流行語大賞」を受賞!

ソフトバンク、「ブロードバンド」で平成12年「新語・流行語大賞」を受賞!

ユーキャン新語・流行語大賞は、「現代用語の基礎知識」を出版する自由国民社によって昭和59年に創始され、その年の世相に合った新語・流行語が年末の話題を呼んでいます。

同賞は「1年の間に発生したさまざまな『ことば』のなかで、軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語を選ぶとともに、その『ことば』に深くかかわった人物・団体を毎年顕彰するもの」(同賞HPから)とされおり、平成12年はそのトップテンのひとつに「ブロードバンド」を選出。ソフトバンクが受賞者として表彰され、孫が授賞式に出席して受賞のあいさつを述べました。

流通、出版事業から創業したソフトバンクは、当時通信事業者として事業を開始するには文字通りゼロからの出発となり、大きなハンディキャップがありましたが、ソフトバンクが挑戦した「ブロードバンド」革命は日本中を席巻し、文字通り「ブロードバンド」に深くかかわった人物・団体として認められ、受賞に至ったのです。

ゼロからの挑戦! 圧倒的な価格破壊力!

ソフトバンクが提供するADSLサービスは、音声もデータも、加入者宅からバックボーンまでをすべてIPで構築するシステム“フルIP(インターネットプロトコル)”を基本設計にした前例のないシステムでのサービス提供を目指し、従来と比較して最大で4倍以上の通信速度8Mbpsを実現しました。

「Yahoo! BB」は、提供価格でも他を追随させない破壊力で設定した「下り最大8Mbps、月額2,280円」でリリースし、市場に大きなインパクトを与えました。ブロードバンドという言葉と共に高速インターネットの存在を日本中に広め、街頭での無料モデムの配布や、TVCMなどの販売戦略も功を奏し、これまで18万人ほどだったインターネットユーザーを、一気に100万人規模に押し上げる事業を展開しました。

2010年の学生向けのイベントで、「Yahoo! BB」が日本のブロードバンド環境の整備に果たした役割について説明

「世界一のスピード、世界一の安い価格」を目指し、当時の日本のネット環境を打破すべくゼロからネットワーク事業を立ち上げ、無謀とまで言われながらスピード感を持って挑戦してきましたが、殺到する予約や問い合わせにカスタマーサポートの対応が追い付かず、開通工事の遅延に次ぐ遅延で混乱を招くなど、多くのお客さまにご迷惑をおかけする事態となりました。

平成15年2月、「Yahoo! BB」事業を担うソフトバンクBB株式会社において、「Yahoo! BB」の顧客情報流出事件が発覚しました。その後、二度とこのような事が起きないよう情報保管体制の徹底的な見直しを行い、社内において強固なセキュリティーシステムの構築を実現し、社員教育の強化、ガイドラインの順守、内部規定の策定、監査体制の整備などの適切な情報セキュリティー対策の実施を通して再発防止に努めています。

「Yahoo! BB」は同年8月には300万人を突破するまでに会員を伸ばし、日本でのブロードバンド普及のけん引役としての役割を果たしました。

モバイル・インターネット時代への布石

ブロードバンド普及の旗振り役が喧伝され、自らもインターネットカンパニーを標榜していたソフトバンクですが、比較的早い時期から「将来ブロードバンドはモバイル機器と融合する時代がやってくる」と予想しており、来るべきモバイル・インターネット時代を見据えた布石を再び打ちます。

「ブロードバンド時代には、回線、コンテンツ、サービスを統合して、高い付加価値を提供することが重要になる」との見解から総合通信企業を目指し、平成16年5月に全国1万2,000キロの光ファイバーネットワークを保有する日本テレコム株式会社を買収。企業向けデータ通信サービスに強みを持つ同社を買収することで、大きく事業領域・事業規模を広げるとともに、将来のモバイル事業に向けて続けてきた研究をもとに、改めて携帯への参入の必要性について検討するようになります。

福岡ダイエーホークス買収

福岡ダイエーホークス買収

平成14年10月、ソフトバンクはプロ野球 福岡ダイエーホークスの買収を表明しました。当時、日本プロ野球業界は再編問題、選手会によるストライキ決行などの問題が噴出し、株式会社ライブドア、楽天株式会社によるプロ野球新規参入問題が話題になっていたことも重なり、IT企業による球団買収の話題で賑わっていた頃でした。

ソフトバンクはその前年、神戸のオリックス・ブルーウェーブのホーム球場「グリーンスタジアム神戸」の命名権を取得して「Yahoo! BBスタジアム」と名付けるなど、ブロードバンド事業を推進するうえで欠かせない知名度とブランド力の向上に取り組み始めていました。しかし当時のブロードバンド事業そのものは黒字転換前であったため、球団買収はタイミング的に非常に大きな決断でしたが、「ブロードバンド事業などの重要コンテンツになること、消費者の認知度やブランドイメージ向上につながること」から、結果的に買収を実行します。
同年11月、ソフトバンクは正式に日本プロフェッショナル野球組織(当時)に参加申請を行い、プロ野球界に参入しました。

孫自身は、他の同世代と同様に子供の頃は野球に熱中し、ブロードバンド事業の準備で会社に詰めている時は、議論が煮詰まるとバットの素振りをしていたとされるほどの野球好き。平成7年のシーズンから福岡ダイエーホークスの監督を務め、孫の少年時代の花形スターだった王貞治とはオーナーと監督として顔を合わせることになりました。現場に関することはすべて王に一任し、「お金は出すが口は出さない」スタンスを徹底。「ホークス」の球団名を残して応援歌も球団名を変えただけで継承し、福岡に根付いた球団の復活を、多くのファンと共に見守ったのでした。

(掲載日:2019年4月22日)
文:ソフトバンクニュース編集部

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