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安心できる居場所を子どもたちに〜東北の子どもたちに今、私たちができること〜

安心できる居場所を子どもたちに〜東北の子どもたちに今、私たちができること〜

2021年3月1日時点の東日本大震災の全国の死者数は15,899人、行方不明者数は2,529人で、そのうち宮城県の死者・行方不明者数は10,758人。宮城県における震災遺児・孤児の数は約1,100人にのぼり、未曽有の大災害は、震災を体験した子どもたちにも、震災後に生まれた子どもたちも影響を残しているという。

県内で子どもや若者の悩み相談、就学・就労支援活動などを行っている、「チャイルドラインみやぎ」と「Switch(スイッチ)」の方々に、震災は子どもたちにどのような影響を与え、求められる支援はどのようなことかについてお話をうかがいました。

目次

子どもたちの声を受け止め、子どもが生きやすい社会にー「チャイルドラインみやぎ」

子どもたちの声を受け止め、子どもが生きやすい社会にー「チャイルドラインみやぎ」

「チャリティスマイル」の寄付先団体である「NPO法人チャイルドラインみやぎ」は、子ども専用の無料電話相談「チャイルドライン」、東日本大震災の被災者支援、社会的養護の子どもたちの自立支援などの活動を行っています。

代表理事の小林さん

代表理事の小林さん

代表理事の小林純子さんは、2001年に仙台市に「チャイルドラインみやぎ」を設立し、現在は全国に68あるチャイルドライン実施団体の事業の運営や人材育成を行うチャイルドライン支援センターの代表理事も務め、困難を抱える子どもたちに対して何をすべきか、日々課題と向き合い続けています。

震災から10年たったから終わりではない

チャイルドラインみやぎは震災直後、国際NGOからの要請で、被災地の避難所に「こどもひろば」を設置することに関わりました。当時避難所では大人たちがすごく混乱していて、1本のバナナを大人たちが取り合うような状況があったり、子どもをうるさがる大人も多かったそうです。

それでも、一日数時間だけでも自分たちだけのスペースを持って遊ぶことができた子どもたちは、心の回復、変化が割合早かったのではないかと小林さんは当時を振り返り、子どもの居場所の必要性を強く感じたと話します。

毎年5月5日に仙台市泉区の商店街と協力して行っている「こどもの日フェスティバル」の「昔あそびコーナー」。震災の年も休まずやっていたが、昨年はコロナで中止になってしまった。

毎年5月5日に仙台市泉区の商店街と協力して行っている「こどもの日フェスティバル」の「昔あそびコーナー」。震災の年も休まずやっていたが、昨年はコロナで中止になってしまった。

チャイルドラインみやぎが2016年に行った調査によると、宮城県内の仮設住宅には3,000人ほどの18歳以下の子どもがいて、そのうち震災後に生まれた子どもは約600人。

この震災後に生まれた子どもたちについて、幼稚園や保育園の先生が、「これまでの子どもと少し違う。落ち着きがない」とよく話していたそうです。

小林さんが幼児教育を研究する専門家へ話をすると、その子たちは、親などの養育者と「愛着」を形成し心の絆を確認するのに最も重要な1~2歳の頃に、親が震災で「それどころではなかった」ことによる「愛着障害」ではないかということで、いまその子どもたちが学校に入って、不登校やいじめの増加にもつながっている可能性もあると言われています。

そういう子どもたちのケアが、実はもっともっとこれから大変だと思っている、と小林さんは話します。

もう一つは、10年が経過して既に親世代になっている当時高校生だった子たちが、自分の気持ちを吐き出せないまま大人になってしまい、それを抱えながら子育てをしていることへの問題をあげ、当時大人を助けてよく働き、進学を諦めたり、家業を継げなかったり、将来の進路変更をせざるを得なかった子どもたちが育てているその子どもにまで、ある程度の影響を考えないといけないと指摘し、「もう10年だから終わりということではない」と強調します。

さらに、コロナ禍の現状は震災の経験とダブるとし、親が十分な子育て機能を発揮できない場合、第三者でも、誰かが関わっていく必要があると、乳幼児期の療育の重要性を子育て支援者たちに伝えています。

子どもの権利を大事にして寄り添っていきたい

子どもの権利を大事にして寄り添っていきたい

チャイルドラインみやぎは、社会的養護の下で暮らす子どもの自立支援も行っています。18歳になって児童養護施設や里親のもとを巣立っても、親元には帰れず、保証人になってくれる人がいなければ住む場所も確保できません。

社会的養護下で暮らす子どもたちは、震災孤児だけでなく、親に暴力を受けて保護され、家に帰れなかったり、帰されてまた被害にあったりという経験をし、その先どうするかということを聞かれることもなく養護施設や里親に預けられ、18歳になって「さあ、どうするの?」と急に聞かれても、「自分で決めたことなんて一回もない。考えたことない」と答えることが多いそうです。

「虐待というのはじわじわと子どもの心を蝕み、貧困に陥ることの遠因にもなっている。虐待防止ができると子どもの問題は半分ほどになるのではないか」と小林さんは言い、最近の兆候として、未来の事に対して希望を持てない子、死にたいとか生きている意味がないという子が増えていることを心配しています。

緊急シェルターを必要とする子どもたちに、チャリティスマイルの助成金が役立てられています

緊急シェルターを必要とする子どもたちに、チャリティスマイルの助成金が役立てられています

県内で震災によって親を亡くした子どもは約1,100人。多くが親族に引き取られているが、途中でその親族が亡くなり、孤児になって児童養護施設に入ったり里親のところで暮らしたりする子どもたちも増えている。これから震災に関係した社会的養護の要請が増えるだろうと、小林さんは考えています。

チャイルドラインの人材育成講座でのロール・プレイングの様子

チャイルドラインの人材育成講座でのロール・プレイングの様子

チャイルドラインみやぎの活動の”根っこ”は電話相談。子どもの声に耳を傾け、子どもがもともと持っている生きる力に子ども自身が気づくための支援をする。子どもの権利を大切にして、子どもが生き生きできる社会にしたい。そのためにも、子どもの話をよく聴いてくれる大人がもっと増えていくことを小林さんは願っています。

チャイルドラインみやぎは、未曽有の災害を経験した子どもや大人が、震災後どんなことを考え、どのように生きてきたのか、どのような影響があったのかを検証する取り組み「東日本大震災親と子の心のケア事業『話してみよう あの日のこと』」を約1年半かけて実施し、今後も起こり得る大災害の時に役立ててもらいたいと報告書をホームページで公開しています。

チャイルドラインみやぎ

自分らしく働く・学ぶために一歩踏み出す若者を応援ー「Switch 石巻NOTE」

自分らしく働く・学ぶために一歩踏み出す若者を応援ー「Switch 石巻NOTE」

「チャリティホワイト」の寄付先団体である「認定NPO法人 Switch」は、東日本大震災の少し前、2011年3月2日に設立。もともとは精神疾患やうつ病などの人たちのメンタルケアや就労を目的とする障害福祉サービス事業所としてスタートしましたが、震災の影響もあって、さまざまな公的制度のはざまとなる若者が増えたため、急遽、「ユースサポートカレッジ」事業を開始しました。

「ユースサポートカレッジ」は、若者たちが社会的孤立に陥らないよう、信頼できる大人とつながりを持つ場づくり「高校内居場所カフェ」や、福祉枠以外での就労・就学支援を行っています。「ユースサポートカレッジ石巻NOTE」(以下、「石巻NOTE」)で支援スタッフをしている廣岡さんと伊藤さんにお話をうかがいました。

高校内の「居場所カフェ」で中退を予防

「高校内居場所カフェ」とは、NPO団体などが運営し、高校内で生徒がお茶を飲んだりしてくつろぎながら、NPOのスタッフなどと話ができる場所です。石巻NOTEは、学校からの要請で、近隣の3つの高校で定期的に「NOTE Café」を開いています。

「高校生は、なかなか向こうからは来てくれないので、こちらのほうから出かけて行って、接触する機会を増やして、中退を予防したり、中退をしてしまったときに社会とのつながりを切らないようにする活動を行っています」と、「居場所カフェ」に期待される役割を廣岡さんは話してくれました。

石巻市は、震災によって県内市町村の中で最大の被害を受け、犠牲者数だけでなく、廃校になった学校数や仮設住宅に住む子どもの数も最多。沿岸部に住めなくなり、都市部に引っ越しを強いられて、うまく適応できずに不登校や引きこもりになってしまった子どもがたくさんいるといいます。

高校内の「居場所カフェ」で中退を予防

廣岡さんは、震災から10年がたって、メンタルの疾患や発達障がいが疑われる若者の増加、また、ここ1、2年は高校生年代からの支援要請がすごく増えていていると言い、小学校低学年ぐらいのときに大変な思いをした子どもたちが、課題を抱えたまま大きくなっているのだろうと現状をとらえ、「石巻は全国の課題を先取りしているようなところがある。私たちの活動が全国のモデルになれば」と取り組んでいます。

自分のことを聞いてくれる人がいたから、いまの自分がある

自分のことを聞いてくれる人がいたから、いまの自分がある

廣岡さんたちにこれまでの活動の中で印象に残った出来事を尋ねたところ、ある若者から最近もらった電話の話をしてくれました。

それは、かつて震災の影響もあってかなり複雑な事情を抱え、不登校や退学をしながら石巻NOTEに通っていた若者からの電話で、「友人が亡くなってお葬式に行ってきた。もし自分が落ち込んでいたときに、石巻NOTEで自分のことを聞いてくれる人がいなかったら、自分も友人のようになってしまったかもしれない」という、友人を亡くしたショックと、人とのつながりがあることで自分がいま存在していることへの感謝の電話だったそうです。

自身も震災当時石巻に住んでいて被災した経験を持つ伊藤さんは、「震災当時は私も被災地支援に来てくれていたNPOの方にたくさんお世話になって助けられました。私は友人や家族などまわりの人の支えもあり、震災を乗り越え、いまは『支援する側』にいますが、まだまだこの地域には周りの支えを必要としている方もたくさんいます」

「自分の話を聞いてくれる人がいる、自分に味方になってくれる人がいると安心して思っていただけるようなつながりや場を作っていきたい」と、力強く話しました。

左から、廣岡さん、伊藤さん

左から、廣岡さん、伊藤さん

「チャイルドラインみやぎ」と「Switch 石巻NOTE」の方々のお話は、発生から10年が過ぎても東日本大震災の影響がいまも続いているということを考えさせられるものでした。

私たちは、これからも変わらぬ支援を続けていく必要があると改めて感じました。

(掲載日:2021年3月8日)
文:ソフトバンクニュース編集部

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