Lv.1の新人がエンタープライズアーキテクチャの沼にハマってみた

2025年12月17日掲載

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皆さま、こんにちは。ソフトバンク アドベントカレンダー 2025 17日目を担当させていただきます。クリスマスイブまであと1週間ですね。いかがお過ごしでしょうか。

本記事では、Lv.1の新人の私がエンタープライズアーキテクチャと向き合う中で得た学びについてご紹介します。技術そのものの紹介ではありませんが、変化の早いこの時代において、エンジニアリングチームの方々にも共有したいテーマです。

企業ブログや発信文化には明るくありませんが、貴重な機会をいただきましたので可能な限り率直な視点でまとめてみました。どうぞ最後までお付き合いいただければ幸いです。

目次

エンタープライズアーキテクチャとは

そもそもエンタープライズアーキテクチャとはなんでしょう。初めて聞く方も多いかもしれませんし基本情報技術者試験の参考書で見かけたことがある方もいるかもしれません。

エンタープライズアーキテクチャ(以下、EAと書きます)とは、全体最適化の観点から組織全体の業務やシステムを見直す技法です。現状とあるべき将来像を整理・分析しながら業務と情報システムを同時に改善するためのロードマップを作成します。

EAは、企業活動を4つのレイヤーに分解して可視化します。

  • ビジネスアーキテクチャ:経営戦略を実現するために組織構造や業務の流れを体系化
  • データアーキテクチャ:業務に必要なデータ構造や関連性を体系化
  • アプリケーションアーキテクチャ:業務を遂行する上で最適な情報システムのあり方を体系化
  • テクノロジーアーキテクチャ:情報システムの設計思想や基本構造を体系化

EAの目的は企業全体の効率化・IT投資の最適化・ガバナンスの強化など多岐にわたります。一言で言えば、企業の未来の姿を描きゴールに向かうための指針を与えることです。

1960年代から1970年代にかけて情報技術を体系的に管理する必要があると囁かれていましたが、実際にEAの導入や開発の指針となるフレームワークが登場したのは1980年代です。この時期は黎明期と呼ばれておりJohn A. Zachman氏により開発文書を表で分類する手法が提案されました[1]。

その後も時代の潮流に合わせて、EAPMやEAAS、TOGAFなどが提案され新たな課題に対応し進化し続けてきました。TOGAFとはThe Open Group Architectural Frameworkの略称で2010年代より提供されています。TOGAFはこれまでに登場した手法の概念を包含しており、完成度が高く標準化できているものとされています[2]。

ちなみに、進化の過程の中で2009年に一度は「EAは死んだ」という趣旨の報告書が発表されたことがあります。この原因はEAの関心ごとがITアーキテクチャのみになっていたことです[3]。その後、再注目されていきますが、この背景には企業価値の源泉がテクノロジーにシフトしたことがあるとされています。

私個人としては、テクノロジーがビジネスに深く入り込みすぎたことについて寂しい思いもあります。昔、夢見ていた技術の世界は社会から一定の距離感があったことで面白い発見や喜びがあったように感じています。インターネットが登場する前からこの世界にいた方々にとっては、より一層そのような気持ちを抱えることもあるのではないでしょうか。

とはいえ、その不可分性の強化を無視することはできずEAの再注目はテクノロジーの観点から「私たちは何のために存在するのか」「どのような社会に貢献したいのか」を問い直す良い機会だと捉えています。


さて、EAを扱う人、通称エンタープライズアーキテクトには、一般的にビジネス境界やステークホルダーの価値志向への深い理解が求められるようです。

私は、2024年の4月にシステムエンジニアとして新卒入社し、全体研修や技術研修を経て8月にEAのチームに参加しました。アーキテクチャへの興味はあり貴重な機会だと思いつつも、経験不足のため自信はありませんでした。

しかし、その中でチャレンジさせていただけたことで自分なりのEAとの向き合い方への気付きはあったと感じています。ここからは、Lv.1の新人の私がEAの世界で向き合った課題をいくつかのエピソードをもとにご紹介します。


戦略判断と既存の情報とのギャップの顕在化

まず担当したのは、IT部門のシステムや予算を一元管理する「ITポートフォリオ」と呼ばれる管理ストラクチャの運用です。単なるデータ更新ではなく、経営判断に資する情報にするにはどう分析すべきかを考える戦略投資管理の役割も担っています。

当初、チームのベテランの方々は一定の暗黙知や疑問点や不明点を確認するための人脈があった上で戦略投資判断を可能にしていました。つまり、もともと案件の背景情報をある程度知っており、必要な情報は経験や人脈を駆使して取得できたということです。

戦略投資判断とは、例えば担当者の増員がある場合、人数不足により問題の起こっているシステムを適切に維持したいのか、それとも現状問題はないが利便性向上やセキュリティリスク低減を行いたいのかといった目的の違いなどをもとに行われます。

さて、この業務を前任者から引き継ぎ、戦略投資管理の現状とあるべき姿について説明されたときは正直尻込みしてしまいました。なぜなら、ITポートフォリオに書いてある案件名やシステム名はどれも初めて聞くものばかりであり、分析に使うために追加されたであろうデータを見ても戦略投資判断の結果に至った背景までは理解できなかったからです。

初めの頃、メイン担当である心優しいエルダーが都度噛み砕いて解説してくれる横で呑気にサブ担当として関わっていました。しかし、ものの数ヶ月後にエルダーの異動を知らされ次年度から自分がメイン担当となることが判明した時は、寒い冬の朝に布団を剥ぎ取られたような思いがしました。

そして私は、エルダーのいない中でベテランの方々の知見をできるだけ高い精度で反映しようとより多くの暗黙知を吸収するために必死になっていました。というのも、やはり新人の身として組織の取り組みの戦略性を評価して課題を形成するというのは少々畏れ多いように思われ、暗黙知をそのまま反映させていくのが一番ストレスフリーだったからです。

しかし、チームの方々には見透かされ暗黙知をそのまま吸収しようとするのではなく自分の持っている情報とのギャップを顕在化させていってほしいとの意見をいただきました。なぜなら、顕在化させたギャップを適切な範囲と適切な形式で情報に落としていくことが誰から見ても納得感のある戦略投資管理に繋がるからです。

その後、実際にITポートフォリオで新たな分析を可能にするガイドラインを作成する場合には、その判断基準や運用方針として、新人の私でも理解しやすい文面や暗黙知に頼らない管理サイクルを提案し反映させていただくことができました。

なお、適切な範囲と適切な形式で情報に落としていくことが重要であり、一つ一つの取り組みには他本部との複雑な連携や関係性、組織全体にもたらす複合的な影響があります。これら全てを情報として顕在化させる必要はなく、そもそも顕在化できるはずがありません。

これらを意識した管理サイクルを検討する中で、案件担当者の方々にヒアリング対応の手間をかけざるをえない場面もありました。だからこそ、ステークホルダーに負担をかける場合には管理サイクルの設計プロセスにも責任を持ち、常により良い設計を追求していきたいと思います。


話は逸れますが、現在はAIエージェント時代と呼ばれることもあり、その利活用において重視されるインプットの品質をいかに高めるかが重視されています。このような場面においても情報に付随する解釈をいかに表に出せるかは極めて重要だと考えています。

重ねて申し上げますが、人間同士がやっていることですから全てを情報にできるとは思っていません。また、そうであってほしくないとも考えています。だからこそ、情報として顕在化させるべき部分と人間ならではの解釈の余地の境界をうまく見つけ属人化せずに納得感のある戦略判断のできる組織作りに貢献していきたいと考えています。


等身大の対話による最適解の模索

戦略投資管理の上位レイヤーにあたる本部戦略策定の議論の場にも参加させていただきました。ここでは、暗黙知の部分を意識しすぎたがゆえに自分の意見をうまく言えなかった失敗例として、お話しさせていただきます。

本部戦略策定について、私たちのチームではその真意に迫り意見を引き出し組織内の社員に浸透させる、いわゆる橋渡し役のミッションを担っています。この変化の早い時代だからこそ、先に突き進むことを求められる風潮に疲弊しないためにも上位層の内なる価値観を知り自分の認識との相違点を見つけることは重要だと考えています。

一方で、立場や目線の異なる関係の間でメッセージの真意を伝えるのには多くの配慮が求められますので苦戦しました。現代文が得意で文章読解に長けている上司であってもその難しさを繰り返し唱えています。

私たちのチームでは、丁寧な解釈を繰り返し幾度となく本部長とのディスカッションを進めてまいりました。しかし私は、新たに議論する場においてもチームの方々には私には見えていないおおよその答えがあるはずだ、と思い込んでいました。

そのため、議論の中で本質的な問いを立てたり率直な違和感を伝えたりすることができませんでした。このような焦燥感の中で用意したディスカッションペーパーの内容を息継ぎも忘れて読み上げ、ふと周りを見渡すとなんとも言い難い空気が漂っていた日の口の中の苦さを忘れることはありません。

しかしその横で、私より在籍歴の短い同年代のコンサルサントが自分の持っている情報をもとに華麗なディスカッションを繰り広げる姿を見ているうちに、関係者間の真意を理解するには等身大の対話が重要だと気付かされました。この1年間では十分な成果を出せていませんが、自分なりの意見を出せた時には明るい言葉で励ましてくれたチームの方々に心から感謝しています。

この経験から得た教訓は、誰にも答えがない領域だからこそ等身大の対話が必要であるということです。在籍歴の短い私のような新人には戦略の策定の経緯やその背景にある上位層の真意を完璧に理解することはできません。しかし、だからこそ、自分に響く言葉選びや発信方法を検討し立場が異なる人々の間での解釈の揺らぎを汲み取ることはできます。

ITの世界の中にいる手を動かせる人や橋渡しをする人、提言する人には、それぞれの立場があり解釈があります。ですから組織戦略とは本来、誰にも答えのない領域だと思います。これからも、少なくとも利点の少ない理由による分断を起こさない等身大の対話を追求していきたいです。

業務効率化で削ぎ落とされた余力への気付き

部門間のコミュニケーション促進も組織横断的なEA活動にとって重要です。私はこの1年で、DE&I推進のための交流機会の企画、情報伝達PJの始動、本部の表彰式でのインタビュー発信など多様なコミュニケーション施策に携わりました。その中でも、社内企画「テクコミ」のPMを担当したことが特に大きな学びとなりました。

テクコミは、テクノロジー×コミュニケーションをテーマにした施策で主に社内で開発運用しているシステムの説明会を行っています。他にも、本部社員の体験談共有会や社内で表彰された案件の裏側へのインタビュー企画など本部横断的な情報共有の促進により、組織力向上に役立ててもらいたいとの想いで運営しています。

引き継ぎ当初、テクコミの運営業務は属人性の高い状態でした。また元々はコロナ禍以前から対面で開催し内容も手探りで進めてきた施策でしたが、引き継いだ頃には基本的にオンラインで開催していました。

これに対し私は、業務を整理しマニュアル化することで属人化解消に繋げました。運営メンバー内では好評いただいたものの、個人的には後悔が残っています。なぜなら、テクコミの目的や背景、現状の課題に対する深い理解がないまま、運営業務自体の改善を優先してしまったからです。

というのも、実はこの業務整理が一段落した後、テクコミの過去の開催風景の写真を見つけてしまったのです。そこには、手探りで運営していた頃、参加者の少ない中でIT部門の方々が笑顔で交流しているようすが記録されていました。

現在テクコミでは、基本的にオンラインで説明会を開催し毎回1,500名以上の方々を招待していますが、規模や開催形式の性質上どうしても活発な交流が生まれにくい現状があります。人数の多いミーティングで、しかもオンラインでとなると、率直な質問をしたり顔を出して関わりを深めたりすることは難しいものです。

ですから、私が引き継いだときに優先してやるべきことは運営業務の属人化解消ではなく、開催形式や規模感が変化する中でどのようにコミュニケーションの機会を提供するかの検討だったと思っています。

その後、双方向の対話を促す工夫や講演担当者に気軽に質問できるQ&Aコンテンツを用意したところ、参加者の方々からも好評をいただきました。この成功は、組織に必要なコミュニケーションとは何かという本質に立ち戻れた結果だと考えています。

属人化解消や業務効率化は重要ですが、本来の目的に立ち戻る余力を削ぎ落とすことのないよう意識した上で、今後も部門間のコミュニケーションを促進していきたいです。現状、手探りで改善策を模索している側面は大きいですが、決して悲観的に捉えるのではなく横断的な情報共有のしやすい組織作りに寄与していきたいと思います。

解釈の統合における苦悩と楽しさ

IT部門の取り組みを社内関係者や法人顧客向けに伝える、法人部門支援をはじめとする本部プレゼンス向上活動にも携わりました。

法人部門支援では、IT導入への可能性と現実とのギャップで苦悩を抱える方々と接することがあります。その中で、IT導入に対する苦悩の共有が法人のお客さまとのリレーション強化に繋がることもあるのだと実感しました。また、研究開発段階の内部の取り組みに対し、法人のお客さまには商用化の予定の有無に関心を持っていただくことが多く、詳細な技術面の工夫といった主張だけでなく法人部門がお客さまに見せたい価値も深く理解する必要がありました。

これらの活動を通じて、ビジネスとテクノロジーは良くも悪くも切っても切り離せないものであることを痛感しました。日常生活の中でもその不可分性の強化を感じることがあります。大学入学共通テストには情報の科目が追加され情報技術を活用できる人材の需要が高まり、SNSではもともとテクノロジーへの関心が薄かったコミュニティにおいても利活用が進められ失業リスクやAI倫理に関する物議を醸しています。

ただし、ビジネスとテクノロジーが本当に切っても切り離せないのかについては議論の余地があります。先述した例のうち、前者は国内に閉じた話であり後者はテクノロジーへの関心をマーケティングされている私のSNS上だからこそ散見されることかもしれません。

しかし、これを読んでくださっているあなたは私と同じくテクノロジーに関心があり、少なくとも後者については実感される機会もあると想定し、余白はあるもののここで終わりにさせていただければと思います。

これらを理解する上で、私はあらゆる立場の方々と対話をし、言うまでもなく実際に現場で技術を取り扱う部門が技術の実装における制約を最もよく認識していることを理解しました。

また、立場によって見せたい姿や解釈が異なっており、それらを統合し納得感を生み出すための苦悩も味わうことができました。業務の特性上、複雑に絡み合うアーキテクチャを外側から解釈しようとする癖ができていましたが、私自身もその内側で奮闘していたのだと思います。

他にも、アーキテクチャ検討や次世代ネットワークの社外推進の機会にもチャレンジさせていただきました。具体的には、次世代技術戦略を定めるため機械学習モデルの利活用可能性を検証したり、次世代ネットワーク領域ではSRv6 MUPの社外展開にも関わったりさせていただきました。

SRv6 MUPの社外展開では、社内のネットワーク部門だけでなく社外の共同研究チームや協力企業、時には音楽家の方など多岐にわたるステークホルダーと連携します。私はデモのコンセプト固めから仕様の設計、デモ環境における仮想マシンの構築まで幅広い機会をいただきました。

このような技術最前線の取り組みにおいては普段の業務では関わりのない方々と専門性の異なる中で対話することが多いです。そのため、ステークホルダーごとの言語を使って解釈を紐解き必要な場面で統合していくことが特に重要であり、同時にやりがいのあるものだと感じています。


EAに関わる業務は、Lv.1の新人にはやはり難しく気付けば自分自身が沼にハマっているようだったと感じています。しかし、アーキテクチャへの興味は尽きず、その可能性を信じています。ですから、自分のできる限界までは時にアーキテクチャに揉まれることさえをも楽しみながら、肯定的な意味でEAの沼にハマっていきたいと思っています。


最後に

実は、全体最適化という言葉にはどこか冷たい響きがあると考えていました。しかし、本記事で振り返った通り、アーキテクチャはストラクチャを設計するための思想や目的、機能であり、EAは人の視点や思考を大切にしながら向き合い続ける温かさを含んでいることが分かりました。

アーキテクチャの構成要素の多様性には可能な限り気付いていたいものです。また、全てを言葉にできないことを十分に捉えた上で、その存在を認識することが重要だと思っています。作家であり思想家の東浩紀氏は、記号を扱いつつも、記号にならないものがこの世界にあることへの畏れを忘れるな[4]と語っています。

単なる馴れ合いが組織成長の足枷になることは、もちろん望んでいません。しかし、暗黙知のギャップを埋めるための対話や解釈を統合するための傾聴、アーキテクチャを意識した業務改善への労力、これらを等閑にしては長期的な成長には繋がらないと思います。

アフリカにはこのような有名なことわざがあります。早く進みたいなら1人で行け、遠くまで行きたいなら一緒に進め。

万物流転という言葉が示すように、人の要望や情報の流れは少なくとも観測しやすい形式においては常に変化しています。最新技術に追いつけ追い越せと急き立てられることに疲弊することもあるのではないでしょうか。もちろん、これこそが技術の進歩の醍醐味かもしれませんし進歩した先の世界に恐れを感じるのは何も今に始まったことではないかもしれません。

また、テクノロジーが浸透するに従いあらゆるものがデータとなり自分の意図しない場面で活用され人々はいつの間にか複雑なアーキテクチャの中に囚われています。独立研究者の森田真生氏はこのように語っています。自分の何気ないふるまいが、自分の意図とは別のところで「有効活用」されてしまう世界は、どこか息苦しいといえば息苦しい[5]。

また、20世紀半ばに経済学者のJohn Kenneth Galbraith氏は、現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができず、広告やセールスマンの言葉によって欲望が初めてはっきりするという発言を残しています[6]。

これらの言葉は、テクノロジーの進歩を喜びつつも夢見ていた技術の世界との乖離にどこか悲しさを抱えていた私に強烈なインパクトを与えました。そして、テクノロジーの進歩、そして、社会への浸透は人々に対し自分自身さえも情報だと思わせてしまう力があるのではないか、と考えるようになりました。

EAの考え方は、人を情報ではなく解釈も含んだアーキテクチャの奥にいる存在として捉えるため、本来であればテクノロジーの最先端で活躍する方々にとっても優しく寄り添ってくれるものだと思っています。

ですから、私は組織の中で腑に落ちない感覚をしている人から思わず漏れ出た声こそ大切にし、無力感を感じる人を自分の周りから減らしていきたいと思います。

今の私にできることは、現実的な提案をするための業務理解はもちろんのこと、アーキテクチャの構成要素の多様性や複雑性に圧倒されながら、それらでさえも楽しめるかを判断することだと考えています。その先に組織力強化があり、さらには情報革命を通じた人類と社会への貢献があると信じています。


皆さま、ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。EAというテーマを取り扱うことのハードルは高く、執筆中は「人間はドラえもんに地球はかいばくだんを持たせることができるのか」という私的な興味のテーマに何度変えようとしたかは分かりません。

それでも、こうして読んでいただき、あなたの中で解釈が生まれることを嬉しく思っています。

『今日も、彼は「美」の理由を考える。我々建築家は、何を造るべきか。[7]』

森博嗣氏の言葉をお借りして、ソフトバンク アドベントカレンダー 2025 18日目の記事にバトンを渡します。


参考文献

[1]John A. Zachman. "About the Zachman Framework". Zachman International - FEAC Institute. 2008年. https://zachman-feac.com/zachman/about-the-zachman-framework, (参照 2025-12-08)

[2]The Open Group. "TOGAF". The Open Group. 1995-2025年. https://www.opengroup.org/togaf, (参照 2025-12-08)

[3]田口潤. "デジタル時代に改めて脚光浴びる「EA」、その理由と活用指針を米Gartnerに聞く". IT Leaders. 2017年11月13日. https://it.impress.co.jp/articles/-/15276, (参照 2025-12-08)

[4]東浩紀. 弱いつながり 検索ワードを探す旅. 幻冬舎, 2016年

[5]森田真生. 偶然の散歩. ミシマ社, 2022年

[6]ガルブレイス 著, 鈴木哲太郎 訳. ゆたかな社会 決定版. 岩波書店, 2006年

[7]森博嗣. 猫の建築家. 光文社, 2002年

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