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通信革命を支えたCTOの横顔

ネットワーク技術者たちの間で、筒井氏の名前を知らない者はいない。東京大学工学部に入学しつつも、京都大学医学部へ転部し、臨床医として免許を獲得したという異色の経歴。10年ほどの間AI(人工知能)の研究に没頭した後、出版したADSL技術に関する著作「ADSL- Asymmetric Digital Subscriber Line」(丸山学芸図書)では、その革命的な視点と緻密な分析で、当時の通信技術者たちに大きな衝撃を与えた。2000年、ソフトバンク社長の孫の招きでADSLサービスの立ち上げに参画してからは、技術の総責任者として、当時は誰も実現できなかった世界最先端のフルIP広域ローカルエリア・ネットワークを構築。今回のBB Mailでは、ソフトバンクBBで数百人の通信技術者たちを統括するその筒井氏にインタビュー、孫社長をして「天才」と言わしめる技術者の横顔をレポートする 。
インタビュアー:山内 貴久美(やまうち きくみ) ソフトバンク(株)広報室顧問・フリーアナウンサー

東大と京大に在籍

山内:
本日は高名な技術者である筒井先生にお目にかかれて本当に光栄です。早速ですが、先生がコンピュータに関心を持たれたのは、何歳くらいからだったのでしょうか?
筒井:
高名だなんて、そんないいものではないのですが、うーん、幾つくらいかな。僕が高校3年のときに、愛読していたインターフェースという雑誌にマイクロコンピュータというものが登場して、8080という、ICチップを買ってきて組み立ててハンダづけすると、立派に動くコンピュータができるというのですよ。まさに驚きでしたね(笑)。大学に入ったら、仕送り全部つぎ込んでIC買って、マイコンをハンダ付けして作りましたね。その頃いちばん欲しかったのが、 VAX11/780。これはその後のPentiumとかの基礎になったものなのだけれど、単一のアーキテクチャで汎用的な機能を提供する、互換性のある非常に美しいシステム。何億円もしたからもちろん買えなかったけれど・・・。

山内:
パソコンやインターネットが世の中に出るずっと前ですね。東大工学部に入学されたのも、それがきっかけだったのでしょうか。
筒井:
自分が受かりそうな大学を受けてみたら、それがたまたま東大工学部だった。そのあとまた受験勉強をして、今度は京都大学の医学部に行ったのですけど、コンピュータはとにかく好きで、京大でも大型計算機センターの図書館の本とか論文とか片端から読んでいましたね。京大にはKABAっていう有名な研究グループ*1があって。僕も研究所時代は、10年くらい人工知能の研究に没頭していました。地下の研究室で集中してAIの論文を読み漁って、勉強三昧。ところが悲しいことに、研究室時代は、なぜか僕だけインターネットを使わせてもらえなかったのですよ。そのせいで、ずいぶん研究に支障をきたしたおぼえがあります。
山内:
どうして筒井先生だけ(笑)?
筒井:
さぁ、僕がいじると、インターネットを壊すと思われていたのかもしれない・・・。そのころはインターネットに対する教授の理解もあまりなかったし。
山内:
先生に対する周囲の評判がしのばれるエピソードですね。東大時代はC言語のコンパイラーなど、複雑なプログラムをおひとりで書き上げて、当時から色々なアプリケーションを作られていた、伝説的な存在だったとお伺いしています。
筒井:
コンピュータはもともと好きだったから、独学で色々やるのが楽しかったです。京大の4年生のときに小さなソフトウエアハウスをやっていたのですが、当時はソフトウエアハウスなんてものが数えるほどしかなかった頃です。友人にアメリカから1,000ドルのパソコンを買ってきてもらって、オフィスの屋根裏に置いてパソコン通信をしたりしていました。そういえば、孫社長との出会いは、この頃、20年ほど昔の話です。ある日いきなり社長の秘書から電話がかかってきて、米国に行くので一緒に来てくれないか、って。

孫社長からの突然の電話

山内:
いきなりですか?
筒井:
その時は孫社長がUNIXに目をつけていて、米国の会社にビジネスの話をしに行くのに、“詳しい奴はおらんか”と探していたらしいですね。雑誌にUNIX 専門ソフトハウスだって宣伝していましたし。社員は二人しかいなかったけれど(笑)。それが僕だったと。それで一緒について行ったのが付き合いの始まり。そういえば、本*2にもエピソードが書かれていましたが、社長が大学卒業証書をもらったのは確かに僕が目撃しました。

山内:
バークレーですね。卒業時に証書を受け取れなくて、日本に帰ってきて随分たってから取りに行ったという(笑)。
筒井:
そうそう、僕はその証人(笑)。でも僕がAIの研究に没頭するようになって、その間は10年ほどお会いしていなかったですね。それから僕はADSLの本を出して、東大の月尾先生に拾ってもらいまして、それがもとで帝京大学の講師の仕事と、森ビルアーク都市塾で都市のインターネット化の仕事をするようになりました。
山内:
森ビルの情報システムは有名ですよね。筒井先生が担当されていたんですか。
筒井:
いやそれが、そのせいか、不動産業界の中で森ビル1社だけIT化がものすごく進んでしまって。福智さん*3とも、アーク都市塾で講義をしていたときに知り合って、友達になったのだよね。孫社長とは、社長と同郷の岩屋先生の勉強会で10年ぶりくらいに再会しました。
山内:
それで、ADSLサービスの立ち上げに参加されたのですね。

ブロードバンド革命

筒井:
孫社長は当時、事業をインターネット分野にフォーカスしていて、あちこちの企業とのコラボレーションを模索していた。“あ、おまえこんなとこで何しとるのや”ってことになりまして(笑)。その後、何年もブロードバンド革命推進の露払いの裏方をつとめました。試行錯誤の末、スピードネット*4とか本当にいろいろありまして、僕も、それまでの仕事みたいに、大学とのかけもちでやっているのはいい加減まだるいと思って、大学の講師をやめてソフトバンクに来て、Yahoo! BBの仕事に全力投球することに決めました。立ち上げ当時のYahoo! BBは、ゲリラ的に始まったプロジェクトで、それでも最低限の機材しか買えないし、スタッフの給料なんかも出せないような悲惨な状況で・・・。あるとき、孫社長が現場の視察に乗り込んできたのですよ。他社は古色蒼然たる高価な機器でATMをつかって、42Mbpsで、しょぼいネットワークを組んでいたのですが、うちは、社内LANに使う安価なレイヤー3スイッチを使ってネットワークを組んでいまして。1Gbpsで接続されている状況をご覧いただいた瞬間、社長のねじが興奮で巻き切れて(笑)。それで、社長室ごと引っ越してきちゃって、自分で陣頭指揮。それからは、突撃しっぱなしです。
山内:
今では顧客満足度調査で高い評価を得ているYahoo! BBですが、サービス立ち上げ当初は、色々な問題が発生していました。
筒井:
戦争でも何でも、まず始める前に半年くらい時間をかけて、物資の確保とか輸送ルートの確認とか、ロジスティクス面の準備をしないと、勝てない。キャリアビジネスも同じで、サービスの開始前に仕様の策定を十分にして、検証もみっちり行って、契約書の段階でベンダーとの責任範囲を明確にしておく、というプロセスで進めるのが大前提なんですよ。それが、何にもない状態で、時間もなくて、検証も十分でないまま投入したわけですから、お客様にも大変なご迷惑をかけてしまった。社内でも、それを問題視する意識が低くて…大変です。
山内:
寝る時間もないくらい、大変な日々だったのではないでしょうか。
筒井:
でも、ブロードバンド革命の推進が私の夢ですから(笑)。
山内:
先生の頭脳の中には、膨大な情報や複雑な理論が格納されている技術者としての部分と、SIビジネスを実際に仕切っていくトップマネジメントの部分が、バランス良く配置されているのですね。
筒井:
しょぼい会社を自分でやっていましたから。あ、そうそう、キャリヤビジネスをやっていて、ある日NTTの局舎で一枚のポスターが目にとまったんですよ、指差呼称の励行ってポスターです。キャリヤビジネスだとたくさんの人が関わって長い線表で、莫大な投資をして仕事をするため、ちょっとした連絡の不手際が原因で電波が出まくって無茶苦茶になってしまうのですよ。だからうちでも、新人やスタッフに年中金切り声を上げて指差呼称を励行するように言っていますね。未だにまだまだですけど。現場経験がないと、わかってもらえない部分が多いのですね。

次に向かう方向

山内:
孫社長が先生を“天才”と呼ばれる理由が、少し分かったような気がします。プライベートでは、意外にもドライブがご趣味とか。
筒井:
なんで意外なの(笑)? うん、車は好き。走っていると気持ちがいいから、昔は特に海岸線を走るのが大好きで、仕事の合間に時間があるときには、能登半島とか紀伊半島の海岸を一周したりしました。今では、家族でちょっとした旅行とかに行くぐらいです。

山内:
海のそばを走っている時には、今のお仕事から離れて、未来の技術のことをお考えになっていたり?
筒井:
うーん、今は、おとくラインの方を、実は職務権限も何もないのですけど、精一杯サポートしていまして。なにしろ大昔の、ISDN技術との格闘で消耗しており、真っ白なのであんまりいい答えはできないのですが、みんな、技術の発達で未来は革新的に変わるという考え方をしているけれど、僕は違うと思っているのですよ。もちろん、画期的な発明や技術革新の実現で、色々なことは少しずつ変わっているけれど、社会の仕組みや人間の生活は、意外とドラスティックには変わらないものなのですよ。今よりも昔の方ができることの幅が広かったものだって、たくさんあるしね。短期的には、ライフスタイルを変える、もっとも衝撃的に来る未来は、PSPかな。しばらくすると、みんなが満員電車の中でふつうに映画を見るようになる。映画を見るだけの端末なら、コンペティターでも作れるけど、それだけでは退屈すぎるから売れないでしょう?あれは、Unbeatableだね。近未来に大きな波となって来るものは、ICチップを使った技術革新で、規制緩和を伴って、大きなインフラを必要とせず、投資で大きな効用を生むものだけなんですよ。DSLもそれかな。他の未来も来るだろうけれど、すごい努力を伴うね。僕が昔考えていた、“日本全国でブロードバンドが当たり前に、それこそ湯水のように使えるようになればいい”っていう夢は、社長が叶えてくれたからなぁ…。

筒井 多圭志(つつい たかし)

ソフトバンクBB株式会社 取締役 CTO
(Chief Technology Officer 最高技術責任者)

略歴:1960年、大阪生まれ。東京大学工学部から京都大学医学部へ転部、91年京都大学付属病院医療情報大学院で単位取得中退。帝京大学理工学部情報科学科講師、アーク都市塾助教授、(株)アスキー顧問などを経て、2000年ソフトバンク(株)入社。ソフトバンクBB(株)取締役として、Yahoo! BBのIPによる基幹ネットワークの構築を手がける。現在、ビー・ビー・バックボーン(株)取締役、アバヴネットジャパン(株)取締役、BBIX(株)取締役を兼任。ネットワーク技術におけるトップランナーの一人として、常に注目を浴びている。

  • ※1 
    Kyoto Artificial Brain Associates.<KABA>、京都大学の人工知能研究グループ。カバをシンボルマークとする
  • ※2 
    「志高く 孫正義正伝」井上篤夫著、実業之日本社刊
  • ※3 
    ソフトバンクBB(株)ネットワークオペレーション本部本部長
  • ※4 
    1999年に東京電力・ソフトバンク・マイクロソフトの3社が立ち上げた高速インターネットサービスプロバイダ

(掲載日:2005年3月1日)