SNSボタン
記事分割(js記載用)

22年の歴史に幕。赤い袋で一世を風靡した「Yahoo! BB ADSL」が切り拓いた日本のブロードバンド

22年の歴史に幕。赤い袋が変革した日本のブロードバンド

2001年、全国の街中で無償で配布されたこの赤い袋に、見覚えのある方もいますよね。この赤い紙袋に入ったADSLモデムが日本全国で設置され、自宅で電話回線を使った高速なインターネットへの接続ができるようになりました。

ソフトバンクは2001年、「圧倒的低価格」を掲げてADSL事業に参入し、ADSLサービスの普及と日本のブロードバンド市場をけん引してきました。そんなソフトバンクのADSLサービス「Yahoo! BB ADSL」が2024年3月31日をもって、22年間の歴史に幕を下ろします。

ブロードバンドを日本中に。ADSLサービスがもたらしたインターネットの革新

1990年代初頭にネット先進国のアメリカで新しい技術として誕生したADSL(Asymmetric Digital Subscriber Line:非対称デジタル加入者線)。アナログの電話回線を使ってインターネットに接続するための技術で、当時日本国内で主流だったISDNよりも高速で接続ができる上、定額料金で常時接続が可能なADSLへの社会的関心は高く、2000年代に日本全国の家庭や小規模事業者向けに広く普及していきました。

ADSLは、従来主に音声通信に利用され、狭い帯域幅で送受信できるデータ量が少なく低速なナローバンド回線と異なり、広い帯域幅を持ち、より高速なデータ通信が可能となるブロードバンド回線です。当時、日本でもブロードバンドへのニーズが高まっていたことから多くの事業者がADSL事業に参入。ソフトバンクもADSL事業に参入し、2001年9月から「Yahoo! BB ADSL」ブロードバンド総合サービスを開始しました。

インターネットの価格とスピードの競争時代の中、「Yahoo! BB」の参入は、サービス開始からおよそ2年半で、ADSL利用者のシェア35%以上を占めるNo.1ブロードバンドサービスへと成長し、国内のADSL普及に大きな役割を果たしました。その要因の一つは、「Yahoo! BB」が圧倒的な低価格でサービスを提供したことです。当時、他社のADSLサービスは月額5,000円から6,000円程度で提供されていましたが、「Yahoo! BB」は常時接続で月額定額2,280円(税別)という低価格で利用することができ、世間を驚かせました。また、特徴的な販売手法として、路上や大型店舗内などの場所に赤と白のパラソルを目印にしたブースを設置。この「パラソル隊」が全国各地に出向き、ADSLの接続に必要なモデムが入った赤い紙袋の無償配布を行っていました。

左:当時のパラソル隊による無償配布の写真、右:シングルモデム

左:当時のパラソル隊による無償配布の写真、
右:シングルモデム

また、スピード感のあるサービス展開を支えたのは、価格や販売方法だけではありません。当初の「Yahoo! BB」は、ソフトバンクのグループ企業の国際回線を活用し、ソフトバンクが提供するADSLサービスの速度は他社より先行して最大で4倍以上の下り通信速度最大8Mbps、上り最大900kbpsと、世界最高レベルのインターネット環境でした。また、短期間で急速に利用可能エリアが増加したことで、いつでもどこでもインターネットがつながるようになったのです。

ADSL普及によって、ウェブサイトの閲覧や電子メールの送受信がより容易になり、動画や音楽、オンラインゲームといったエンターテインメント体験が進化したり、世界中でリアルタイムのオンラインコミュニケーションが一般化するなど、人々の生活を大きく変えました。

「Yahoo! BB」ブロードバンド総合サービスを開始した2001年の「新語・流行語大賞」に「ブロードバンド」がトップテン入賞し、「Yahoo! BB」の提供開始などによるブロードバンド事業への進出で注目を集めたとして、 当時社長を務めていた孫正義が受賞しました。

お客さまのご支援があって今がある。ADSLと歩んだ軌跡

比較的どの家庭でも手が届きやすい価格設定や高速通信など、ADSLの普及を後押ししたソフトバンク。
当時Yahoo! BBの参入、サービス拡大を先導した担当者は、ソフトバンクとADSLの歩みを振り返ってこう語ります。

馬場 一(ばば・はじめ)

馬場 一(ばば・はじめ)

2001年からADSL事業に参画。ソフトバンクBB株式会社営業企画部部長を務める。何の基盤もないところから販売体制を一気に構築するため、幕張メッセに数千名に及ぶスタッフを集めて行った全体研修を指揮。家電量販店との販売体制の構築など、販売戦略を担当。現在は、PayPay株式会社の副社長執行役員Co-COO。

「日本のブロードバンドは『常時接続・高速通信・低価格』が今では当たり前になっています。この当たり前を始めたのは、Yahoo! BBのADSLでした。これに対抗して他社が新しいサービスを低価格で出すなど競争が始まることで日本の通信が変わっていった。われわれの使命をまっとうして、ようやくADSLが終了するということを思うと、とても感慨深いです。

街頭で赤い袋に入れたモデムを無償配布していましたが、実はもともと「Yahoo! JAPAN」上で モデムレンタル料金無料のキャンペーンをしていたので、突然無料で配りだしたわけではないんですよ。私は2001年の後半からADSLに関わったのですが、もっとたくさんの人にADSLを知ってもらって使ってもらいたいとの思いから、人がよく集まる家電量販店で配り始めました。そこで販売員が『2カ月無料だから使ってみてください。良さが分かりますから』と営業をしていたんです。『他に人がいっぱい通るところはどこだ?』と孫会長からの質問をきっかけに、街頭販売をスタートさせました。屋台で使われるようなテーブルを出して、雨が降るなか、池袋のドトール前からスタートしたのを覚えています。

池袋のドトール前で行われた街頭販売
池袋のドトール前で行われた街頭販売

池袋のドトールコーヒーショップ前で行われた街頭販売

そのときは試しでやってみていたので、ポスターなども全て手書きでした。紙袋を白や青などいろんな色でテストをしてみて、販売台数が最も多かった赤に決めました。目立つし、福袋のような見た目で少し楽しく感じてもらえたんだと思うんですよね。

モデムの配布はもちろんサービス拡大において重要な戦略ではありましたが、サービスが普及するためには、そもそも「良いサービス」であることが大事です。当時の通信方式はATMだったのに対して世界標準で利用されているIPによる通信方式を採用することで、ネットワークの機材を世界中から調達できる。だから安く、通信速度が速くなりますよね。それから、各電話局をつなぐバックボーンをリング状にしてネットワークをつくりました。いまでは当たり前の話ですが、日本全国をリング状につなげるというのは今までになかった発想でした。これを多くの技術者が実現してくれたんです。良いサービスだったからこそ、短期間で日本に普及したと思っていて、「まずは良いサービスをつくる」、だからこそ「マーケティング・プロモーションが生きる」 という考え方は今携わっているPayPayでも生きていると思います。

最初にADSLサービスを使ってくださったお客さまやYahoo! BBのADSLサービスをご愛顧いただいた皆さまのご支援があったからこそ、今のソフトバンクがあると思っています。長い間、本サービスをご利用いただきありがとうございました」

社員にも思い出の数々。22年間、ありがとう

ADSLサービスの普及に携わったソフトバンク社員にも数多くの思い出があります。中でも、立ち上げ期から携わった社員は、当時を思い返し、こう語ります。

  • ()内はADSLと回答者の当時の関係

「2003年1月のソフトバンクBB株式会社が設立された日に入社しました。パラソル隊として、全国の主要駅でモデムを配布する営業担当でした。それからいつの間にか20年が経ち、サービス終了という寂しい思いもあります」(40代、パラソル隊)

「2カ月で2,000人の販売員を集めて研修後、日本全国に送り込む。事業立ち上げのスピード感とダイナミズムを感じられる得難い体験でした。これ以降の、モバイル事業との合流や、日本でのiPhoneの取り扱い開始、ADSLから光サービスへの移行、直近ではPayPayの立ち上げまで、この『Yahoo! BB』の黎明(れいめい)期の経験が当社内に根付いているからこそ、実現できているのだと思います」(50代、販売)

中には、学生時代にADSLサービスに出会ったことや、パラソル隊のアルバイト経験がきっかけでソフトバンクへの入社につながったという社員も。日本全国の街頭でADSLが人々の生活を変えた瞬間に立ち会ったソフトバンク社員は大勢います。

「母が赤い袋をもらってきて、パソコン一式を買ってきたのは本当に驚きました」(40代、広報・宣伝)

「学生時代はダイアルアップを使っていて、5分ほどのYouTubeを見るのに1~2時間以上待っていた記憶があります。その後ADSLに切り替えて、速度が格段に上がり感動しました。今や10GBという段違いの速度になり、時代は大きく変わったなぁとしみじみ思います」(30代、ユーザー)

「当時は学生で、ファミレスやゲームセンターの入り口でYahoo! BBのモデムを配るいわゆる『パラソル隊』としてバイトをしていた時期がありました。ADSLのことを知らないお年寄りやお子さんが赤い袋に入ったモデムを欲しがり説明に苦労した思い出があります。インターネットや通信の基礎を学んだのもこの時期で、その後縁がありソフトバンクに入社しました」(40代、パラソル隊)

「ADSLによりお客さまのライフスタイルが変わることが導入期の一番のやりがいでした。店舗のお試し回線で体験していただいたお客さまの驚き、喜びの表情は忘れられません」(60代以上、販売・営業)

「入社時からADSL監視保守に携わってきました。最初は監視保守チームの社員が20人以上いましたが、ADSLから光への移行で何とかサービスエンドまで来ました。入社時から対応していた業務がなくなるのは寂しく感じます」(30代、技術)

ADSLと共にした思い出が人それぞれたくさんあります。
ADSLサービスが実現した「常時接続・高速通信・低価格」のブロードバンド回線は、インターネットの普及を通して人々の生活を大きく変えました。ソフトバンクはこれから先も、皆さまにより快適なインターネットをお届けしていきます。

(掲載日:2024年3月25日)
文:ソフトバンクニュース編集部

22年間、ありがとう。Yahoo! BB ADSLサービスは終了します。