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これぞ永久保存版! ソフトバンク 創業事業の「出版」とゲーム雑誌探訪

これぞ永久保存版! ソフトバンク 創業事業の「出版」とゲーム雑誌探訪

ソフトバンクの創業が、パソコンソフトの流通事業と出版事業から出発した会社であることを知らない読者が最近は多くなってきたようです。むしろ知らない人が多数派かもしれません。そこで、ほんの少しだけ、ソフトバンクがなぜ出版をやっていたのかを、パソコンとゲームに絞って紹介します。なお、現在の出版事業は、グループ会社のSBクリエイティブ株式会社が展開中。この機会にぜひお見知りおきを。

SBクリエイティブ株式会社

SBクリエイティブ株式会社

ソフトバンクグループの出版事業を継承し、現在は紙の出版物の刊行の他に、デジタルコンテンツや企画制作などの事業を展開している。

SBクリエイティブ公式サイト

パソコンソフト市場の拡大のために必要だった出版事業

ソフトバンクは「情報革命で人々を幸せに」を経営理念とし、特に2000年代からのブロードバンド事業や携帯電話事業以降は、通信を基盤としてあらゆるICTを活用した事業を展開する企業です。その志は創業以来全く変わっていませんが、携帯電話もインターネットもなかった1981年の創業時、ソフトバンクは現在とはだいぶ違った姿をしていました。

ダンボール山積み
編集部

1982年とのメモが入った当時のソフトバンク社内の様子。書類や販促品であふれかえっています

創業者で、現ソフトバンクグループ株式会社の社長である孫正義は、会社を起業するための準備期間に無数の事業アイデアを考えましたが、その中から選んだのが、パソコンソフトの流通事業でした。この事業は、全国にある大小のソフト会社から商品を仕入れ、それを倉庫などでストックし、販売店などの注文に応じて出荷する、というのが基本スタイルでした。この流通事業が社名の由来となっています(創業時は「株式会社日本ソフトバンク」。上の写真は創業から約半年後の様子)。

1980年代前半は、日本のパソコン業界の黎明期。パソコンのハードは大手メーカーでなければ手がけるのが難しい事業ですが、一方のソフトはパソコンが最低1台あれば開発することができるため、大小さまざまなメーカーが誕生しました。実態としては小規模なところが多く、大学の研究室やサークルの延長のようなところも少なくありませんでした。

この時期のパソコン業界の広告宣伝は、新聞やテレビが主要な媒体でしたが、小さいソフトメーカーが大きなメディアに広告を出すことは容易ではありません。ソフトの流通事業の拡大を目指すソフトバンクにとっても、これは大きな課題でした。そこでソフトのカタログやプログラム集を作り、販売店や関係先に配布する流通事業の一部としてスタートしたのが、出版事業の礎となりました。

パソコンの機種ごとに雑誌を発刊する専門誌戦略

初期パソコン業界で、情報を流通させる大きな役割を担ったのが雑誌です。1970年代後半~1980年代前半は、主要なパソコン雑誌が続々と創刊していました。実はソフトバンクの出版事業は少し後発で、先行する雑誌が部数を伸ばしていた時期の参入となりました。他の雑誌との差別化として選んだのが、「パソコンの機種ごとに雑誌を出す」という専門誌戦略。この時期の市場規模を考慮すれば、メーカーを横断的に扱う総合誌が常識でしたので、かなり思い切った作戦です。

こうして1982年5月、ソフトバンク最初の定期刊行物が発行されました。日本のパソコンの元祖的なMZ-80KをはじめとしたシャープMZシリーズを扱う『Oh!MZ』(後に『Oh!X』)、パソコンブームを引き起こしたと言われるPC-8001をはじめとしたNECのPCシリーズを扱う『Oh!PC』です。

とはいえ専門誌の月刊誌は、当初在庫の山を築いてしまいます。しかしメーカーの協力やソフトバンク自身の経営努力、折からのパソコンブームの追い風などにより、やがて主要な雑誌と目されるようになっていきます。この成功により、富士通系の『Oh!FM』、東芝系の『Oh!PASOPIA』など、専門誌戦略は長年にわたるソフトバンクの雑誌展開の基本となっていきました。

出版事業、PC雑誌のこと

業界でも社内でも異端だったゲーム雑誌

ソフトバンクニュースの別の記事で『セガハードヒストリア』を取り上げていますが、ソフトバンクはゲーム雑誌も手がけていました。1984年に『Beep』という、ゲームの総合誌を創刊。『Beep』はファミコン全盛期にもかかわらず、パソコンゲームの情報量がむしろ多く、内容もサブカルチャー誌に近い趣で、よく言えば孤高のゲーム誌でした。

『セガハードヒストリア』についてはこちらの記事で紹介しています

『Beep』創刊の前年、SEGAとしては初の家庭用ゲーム機を発売します。しかし、1980年代のファミコンは圧倒的な存在。その牙城を崩すことは難しく、SEGAを始めとしたファミコン以外のゲームは、雑誌もなかなか取り上げてくれません。このような状況で『Beep』とSEGAは邂逅を果たし、結果としてSEGAファンにとっての貴重な情報源となっていきます。

ここに前述したソフトバンクの専門誌戦略も合わさり、SEGAの専門誌『BEEP!メガドライブ』にリニューアルします。ちなみに少し後にスーパーファミコン、プレイステーションの専門誌が、『BEEP!メガドライブ』編集部を母体として分家。各誌は2000年代後半ごろまで、ソフトバンクの事業の主力として活躍しました。

ゲーム雑誌のこと

SEGAが独特の作品を出すこともあり、SEGA系の雑誌にはゲームファンの中でも「極めて濃い層」が集まりました。SEGA、ファン、雑誌が三位一体となり、お互いをより深い朱色に染めながら、独特な生態系を形成していったのでした。このあたりの経過は、『セガハードヒストリア』に詳しすぎるほど書いてありますので、ぜひご覧になってみてください。

ゲーム雑誌のこと

『セガハードヒストリア』についてはSBクリエイティブサイトで詳しく紹介しています

紙媒体からデジタル書籍まで幅広く展開

ソフトバンクのグループとしての拡大の中で、出版事業はソフトバンク パブリッシング株式会社という名前で1999年に分社化。出版事業から派生したメディア・マーケティング事業領域でのグループ会社との再編などを経て、2022年現在は「SBクリエイティブ株式会社」として出版事業を継承し、また出版から派生した事業を含めたグループを形成しています。

出版事業は、一時期は毎月30誌前後の雑誌を発行していましたが、現在は書籍が中心で、とりわけ電子書籍に注力しています。かつてのパソコン雑誌の流れを汲んだIT系の書籍に加え、教養系や健康系、教育系などの幅広いジャンルを扱うように。ゲーム雑誌系は、ライトノベルやコミックを手がける編集部に生まれ変わっています。

ソフトバンクの出版事業を継承するSBクリエイティブ株式会社の公式サイト

ソフトバンクの歴史についてはこちらの記事で振り返っています

(掲載日:2022年7月26日)
文:ソフトバンクニュース編集部