(左) ソフトバンクモバイル株式会社 技術統括 モバイル・ソリューション本部 開発統括部 ソリューション開発室 室長 田近 明彦(たぢか あきひこ)
(右) ソフトバンクモバイル株式会社 技術統括 ネットワーク本部 情報推進室 システム構築課 課長 高橋 真(たかはし まこと)
ソフトバンクグループでは3月11日に発生した東日本大震災により、特に沿岸部を襲った津波の影響で、多くの通信設備が被災しました。その直後より、ソフトバンクモバイル株式会社(以下 ソフトバンクモバイル)では、臨時基地局の設置をはじめとしたさまざまな方法で、被災地における移動体通信の確保に努めました。その方法のひとつが、衛星移動基地局を搭載した車両(以下 衛星移動基地局車)の活用でした。ソフトバンクモバイルでは、全国に配備中の衛星移動基地局車を被災地に集結させましたが、その中でいち早く、衛星移動基地局車で被災地に入り、避難所を中心に、電波の発信や携帯電話の貸し出しを行ったチームがありました。このチームの中心メンバーであるソフトバンクモバイル 技術統括 モバイル・ソリューション本部 開発統括部 ソリューション開発室 室長 田近 明彦と、同 ネットワーク本部 情報推進室 システム構築課 課長 高橋 真に、被災地で行った活動についてインタビューしました。
震災の翌朝、東京から被災地へ
被災地で通信エリアの確保に活用された「衛星移動基地局車」とは、どのような機能を備えたものなのでしょうか?
田近:
衛星移動基地局車は、小型の携帯電話基地局と衛星通信用のアンテナを搭載した自動車です。停電や故障で機能を停止した基地局や、今回のような災害時の避難所などにおいて、車両上部のパラボラアンテナと通信衛星、そして地上局を結び、携帯電話が使用できるエリアを作り出します。
震災発生後、衛星移動基地局車で被災地に向かったときの状況を教えてください。
田近:
震災が発生した3月11日の深夜から翌朝にかけて、東京の本社付近で衛星移動基地局車の動作確認を行いました。偶然にもこの日、最新の衛星移動基地局車が、納車されたばかりだったのです。3月12日の朝、調整が完了して被災地に向けて出発しました。東北自動車道では道路の一部がゆがみ、ところどころに穴が開いていたため、運転が困難でした。周りを見ると、私たちの車以外に一般車の姿はありません。おそらく西日本から徹夜で応援に来たであろう、救急車など多数の緊急車両が隊列を作り、警察や自衛隊の特殊車両、重機を載せたトレーラーなどが走っていました。そのような中で、私たちだけが“ポツン”と小さい乗用車で走っているような、不思議な光景でした。
高橋:
最初の目的地は、宮城県にあるソフトバンクモバイルのネットワークセンターでした。道中では、福島県に入った辺りから完全に停電していて、周囲は真っ暗。目に見える明かりと言えば、緊急車両の屋根で回っている赤灯ばかりでした。目的地のネットワークセンターには、12日の夜に到着しました。到着後、すぐに機材の調整やアンテナのセットアップなどを行い、実際に衛星移動基地局車を運用する避難所の選定を開始しました。その結果、約700名が避難されているという宮城県石巻市の「石巻専修大学」を最初の行き先として決定し、翌日の13日、現地に向かいました。ここから避難所での衛星移動基地局車の運用が始まり、以後、数カ所の避難所を巡回しました。
避難所で鳴り続けた電話
避難所では、どのようなことを行ったのでしょうか?
田近:
石巻専修大学の避難所では、最初に到着した時間が深夜でしたので、関係者の方にあいさつすることができませんでした。そこで、大学の裏手にまわり、基地局を開局しました。もしかすると、まだ携帯電話の電池が残っている方もいるかもしれないという考えがあったからです。
電波を発信すると、通信トラフィックが一気に上昇しました。おそらくサーバに留まっていたメールが一斉に送受信されて、多くの方に、「ソフトバンクの携帯電話が使えるようになった!」と喜んでいただいたと思います。この瞬間は、とても印象深く心に残っています。
石巻専修大学の避難所を訪れたときは、携帯電話だけではなく固定電話も使えない状況で、我々ソフトバンクモバイルが、この避難所に来た最初の通信事業者となりました。そこで私たちは、避難所の責任者のご配慮によって、人目につきやすい中庭で活動させていただくことになったのです。具体的には、電波の発信や携帯電話の貸し出し、充電サービスを行いました。衛星移動基地局車は直径1.2メートルのアンテナを搭載し、車体には「SoftBank」のロゴマークをつけています。多くの方々が車を見つけて、私たちのところに来てくださいました。
ほとんどの方は、このとき初めて外部と連絡が取れ、安否の確認ができたようです。家族と電話がつながり、無事を確認できた人々の喜びの声が響く一方で、悲しい知らせに涙を流されている方もいらっしゃいました。そのような悲しみの中で、避難所の皆さんは私たちに気さくにいろいろな話をしてくださいました。こうした顔と顔を合わせたコミュニケーションは、避難所ではとても大切なことだと思います。避難所の方々との会話を通じて、人は悲しみに直面したとき、話し相手が必要だということを実感しました。
高橋:
震災から間もない当時の状況は、本当に悲惨でした。避難所の周辺は、電話どころか町そのものが津波で流されていたため、私たちのところに来て電話を発信しても、相手につながらない場合が多く、心が痛みました。
田近:
石巻専修大学で初日の24時間に提供した通話は、計1,400コール。また、それ以降も多くの方にご利用いただきました。
そのほか、どこの避難所へ行きましたか?
田近:
宮城県南三陸の入谷小学校に行きました。ここは警察から要請を受けて行った避難所です。警察署が津波で流されてしまったため、この小学校に警察署が臨時移転していました。
私たちは、警察官に携帯電話を貸し出し、避難所の方々に通信を提供しました。入谷小学校に避難していた方は、300~400人。2日間で3,000コールを記録しました。人づてに我々がここでサービスを提供していることを知り、避難所以外から通話や充電のために来られる方もいました。また岩手県では、陸前高田市の米崎小学校に行きました。ここは自衛隊の基地にもなっていましたので、自衛隊にも携帯電話を貸し出しました。
そのほか、宮城県牡鹿郡の女川町総合体育館では、「水没した携帯電話をどうにかしたい」という方がいらっしゃいましたので、携帯電話を交換しました。メモリーを移行しているとき、「携帯電話の中にある写真だけが、家族の思い出になってしまいました。家も、家族も、飼い猫も、みんな流されてしまいました……」というお話を聞いて、本当につらかったです。現地では、我々と同様に移動基地局車を運用している他の通信会社の方とも話す機会がありました。被災地で「お客様に通信を提供する」という使命感は、どの通信会社も同じなのだと感じました。
経験を生かし、万一の災害に備える
衛星移動基地局車での活動を振り返って、いかがですか?
田近:
今回私たちが運用した新型の衛星移動基地局車は、車体が小さく、かつ四輪駆動です。被災地の道路では、津波被害の影響で行き止まりや水没・陥没などに当たり、引き返しや別ルートへの変更を余儀なくされることが頻繁にありましたが、そのような場合でも柔軟に対応し、走行できました。
また、消費電力が小さいことも特長です。たった2.5リットルのガソリンで、約7~8時間の継続発電が可能ですので、効率良く通信を提供できました。さらに、開局までの手順が非常に簡単です。東京の本社にいる担当者に開局地を伝えると、担当者は、専用システムに緯度経度や、緊急機関のコード番号を入力し、設定を行います。すると、私たちが現地に到着するころには、移動基地局からすぐに電波を出せる状態になっているのです。実際に、現地到着から20分後には、電波を出していました。震災発生後から東京の本社では24時間体制が敷かれ、いつでも素早く連携できました。衛星移動基地局車の運用は、このような体制があってこそ遂行できた活動でした。
今回の経験を通じて、さまざまなことを感じられたのではないでしょうか。今の思いを聞かせてください。
高橋:
先日、機会があり、再び石巻専修大学を訪れました。被災地から東京に戻り、元の生活を過ごす日々の中で、そろそろひと段落ついたと思っていましたが、現地に行ってみると、何も終わっていませんでした。多くの被災された方々は、今なお避難所で生活していて、町にはがれきの山があり、自衛隊がそれを片付けていました。まだ何も終わっていないのです。そんな中で私自身の責務は、ネットワークの完全復旧と拡大です。今はまずそこに注力することが、自分の役割だと考えています。また今後、他の地域でも大きな地震が起きるかもしれません。私は自身の役割を踏まえ、「絶対に崩れないネットワークとは何か」「それはどのように作ることができるのか」ということを、なお一層真剣に考えたいと思っています。
田近:
私も同じく、東北はまだ何も終わっていないと思っています。現在、ソフトバンクモバイルでは、被災地の仮設住宅地に基地局を設置するプロジェクトを進めているところです。
今回被災地で衛星移動基地局車を効果的に活用できたことを機に、ソフトバンクモバイルでは、移動基地局車を100台に増加させることを決定し、現在準備しています。また専用車ではない通常の車を利用して、臨時の衛星基地局を組み上げることができる通信設備キットを100セット用意し、さらに100セットを、いつでも避難所に設置できるような「衛星やぐら基地局」として保管しておく計画です。
アンテナはすべて、衛星自動追尾式になっていますので、ボタンを押すだけで、アンテナが自動的に通信衛星の電波をつかまえます。これらの備えにより、今後はいつ災害が発生しても、ソフトバンクモバイルは300セットの基地局を、迅速に展開することができるようになります。
9月1日の「防災の日」には、災害対応訓練を実施し、衛星移動基地局を出動、開局させる実動訓練を行いました。また、9月上旬に発生した台風12号では、移動基地局車のチームが紀伊半島に出動し、水害の被災地域での緊急対応を行いました。このように、今後もいざというときに被災地に安心を届けられるよう、次への備えを着実に整えていきます。
- ソフトバンクモバイル 基地局復旧の取り組みについて(ソフトバンクモバイル株式会社)
- 東日本大震災による被害への対応状況と今後の見通しについて(ソフトバンクグループ)
- 東日本大震災 災害対応・復旧支援情報(ソフトバンクモバイル株式会社)
(掲載日:2011年9月14日)