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震災遺児・孤児を見守り続ける「仙台レインボーハウス」〜東北の子どもたちに今、私たちができること〜

震災遺児・孤児を見守り続ける「仙台レインボーハウス」〜東北の子どもたちに今、私たちができること〜

「東日本大震災発生時にお母さんのおなかにいた子は、今、初めて親がいないことの悲しみに向き合っている」

生きる喜びよりも先に、家族の死による喪失感を突き付けられた震災遺児たちは、現在どのような気持ちで日常生活を送っているのか、新たに立ちはだかる課題は何なのか…。「チャリティホワイト」の寄与先団体で、一般財団法人あしなが育英会が運営する、震災遺児・孤児の交流の場「東北レインボーハウス(仙台・石巻・陸前高田)」の西田正弘所長にお話を伺いました。

目次

10年は区切りではなく現在進行形

10年はただの数字

2011年3月11日に発生した東日本大震災からあと1年で10年という節目を迎えるにあたり、子どもたちはどのような心境で生活しているのでしょうか。

「親を亡くした深い悲しみはまだ解消されていません。受け入れている最中といえます。高校二年生の男子生徒は『そろそろ踏ん切りを付けなくちゃダメだと思う…』と顔を曇らせていました。震災に対する気持ちに区切りをつけないと、進学や就職に一歩踏み出せないと思っている子がいる。周囲から聞こえる10年という言葉を意識しているのかも知れません。10年というのは現在進行形の年月で、必ずしも思いに区切りを付けないといけないわけではない」。

10年はただの数字

西田さんは、強い口調で続けます。
「子どもは7歳から10歳で“死”を実感として理解できるようになる。震災時にお母さんのおなかの中にいた子は、父親が震災によって亡くなったことは聞いていますが、『死んだのか。それでいつ戻ってくるの?』というような感覚。それが年を重ね『この先ずっと会えないんだ…』と実感すると、“家族が死んだ”という言葉さえ言えなくなってしまいます」。

成長することは、悲しみに向き合わなければいけないということ。親を亡くした喪失感を今、初めて覚える子どもがいるのです。小さな子どもたちだけではありません。大学生や社会人になる年ごろにも、気を配る必要があります。大人になればなるほど、自分の痛みを吐露することが難しくなり、ストレスを抱え込むといったケースが見られるそう。

そんな震災遺児たちの心の傷を、2014年の竣工から見守り続けてきたのが「仙台レインボーハウス」です。

「黒い虹」を「七色の虹」へ

「黒い虹」を「七色の虹」へ変えていきたい

「阪神・淡路大震災の遺児たちが集うキャンプで、小学生の男の子が黒く塗りつぶされた虹の絵を描き、私たちはその絵を『黒い虹』と名付けました。黒い虹をまた七色の虹になるようにサポートする! レインボーハウスという名前には、そのような思いが込められています」。

東日本大震災で、あしなが育英会は遺児2,083人に特別一時金を給付し、仙台・石巻・陸前高田に震災遺児や孤児のための施設「レインボーハウス」を2014年に設立しました。この3施設の運営には、阪神・淡路大震災時にできた「神戸レインボーハウス」での経験が生かされています。

特別一時金の受給者が多かった仙台・石巻・陸前高田にレインボーハウスを設立

特別一時金の受給者が多かった仙台・石巻・陸前高田にレインボーハウスを設立

「阪神・淡路大震災では、573人の子どもが親を亡くしました。あしなが育英会では、“安心・安全”の環境が崩れ、自分も死ぬかもしれないという恐怖体験をした子どもたちの心に寄り添っていきたいと考えました」と西田さんは振り返ります。

当時の日本には、震災遺児たちのトラウマやグリーフ(深い悲しみ、愛惜)、ストレスをケアする施設がありませんでした。あしなが育英会は、アメリカ・オレゴン州にあるダギーセンターでグリーフを抱える人を支えるグリーフサポートなどを学び、1999年に「神戸レインボーハウス」を設立しました。

仙台レインボーハウスは、神戸レインボーハウスのノウハウを生かし、子どもたちのグリーフの表出を手助けする三つの部屋を設置しています。大きなソファに座りながら、ゆっくりと話ができる「おしゃべりの部屋」、人を傷つけることなく体を動かすことでストレスを発散することのできる「火山の部屋」、頭や手を使って遊びに没頭できる「あそびの部屋」です。ほかにも、体育館のような多目的ホールや食堂、宿泊部屋などを備え、震災遺児たちが楽しく過ごせる環境を整えています。

おしゃべりの部屋

火山の部屋

おしゃべりの部屋/火山の部屋

あそびの部屋

食堂

あそびの部屋/食堂

子どもたちが遊びまわることのできる体育館。当時避難所となった体育館と異なる印象にするため、曲線の屋根にするなどの配慮も。

子どもたちが遊びまわることのできる体育館。当時避難所となった体育館と異なる印象にするため、曲線の屋根にするなどの配慮も。

突然のフラッシュバック。“安心・安全”な環境づくりを

突然のフラッシュバック。“安心・安全”な環境づくりを

東日本大震災の発災後、西田さんは子どもたちの精神状態を表す言葉や行動をキャッチすることが多かったと話します。

母親を震災で亡くし、叔母の家に引き取られまだ小学生だった子どもが、「家にいくらお金があるか知りたい」と問いかけてきたそうです。どうしてかと質問すると、「自分が高校や大学に行けるのかどうかが気になる…」と話し出しました。これまで自分を守ってくれていた人や家などを一度に失い、将来に不安を抱えていたのです。

浴槽にためた湯が揺れる様子で津波を思い出し、お風呂に入れなかった子や復興作業のトラックが家の前を通ると地震だと勘違いし、おびえてしまう子…。子どもによって被災体験が違うため、何が震災をフラッシュバックさせるトリガー(引き金)になるのかが分かりません。

心が不安定になる要因を解消するには、自分で“安心・安全”を実感できる場所や人を見つけ、「あんな恐怖体験はもう起きない。大丈夫」という時間を少しずつ積み重ねていくしかないのです。

悲しみを代わることはできない。ファシリテーターの役目とは

おはなしのじかんでは、布を巻いた棒を持った子どもが発言者に

おはなしのじかんでは、布を巻いた棒(トーキングスティック)を持った子どもが発言者に

仙台レインボーハウスは、震災遺児たちの心のケアを目的としたプログラムを月に2回開催。子どもが成長していくに従い、小・中学生だけではなく、大学生や社会人対象の集まりもつくっています。

プログラムには「ファシリテーター」と呼ばれる、子どもの心に寄り添うボランティアスタッフの存在が欠かせません。コミュニケーションスキルの練習や自身のグリーフを振り返るグリーフワーク、セルフケアについてなどを2日間受講した人のみが、ファシリテーターとしてプログラムに参加できます。

悲しみを代わることはできない。ファシリテーターの役目とは

「ファシリテーターという役割をダギーセンターの研修で初めて知りました。それまでスタッフは“先生”と呼ばれ、子どもたちを導かなければといけないと思っていたのです。でもファシリテーターは違う。子どもたち自身が心を癒やすために怒ったり、悲しんだりすることを“あなたのペースで気持ちを表現することが大事だよ”と手助けしてあげるイメージ。一人一人違うグリーフに、こうすれば治るということは教えられないし、悲しみを代わることもできないのです」と、子どもに寄り添い、見守っていくことが何より重要だと話す西田さん。また、ファシリテーター自身のセルフケアも重要なことのひとつ。「相手も大事。自分も大事」この言葉をファシリテーターは大切にし、子どもたちをサポートしています。

東北の子どもたちに今、必要な支援とは

子どもたちが自分の成長を記録

子どもたちが自分の成長を記録

西田さんが子どもたちと接するときに気を付けているのは、「相手の気持ちを勝手に解釈しない」ということ。いくら明るい様子に見えても、「元気そうだね!」というような気持ちを限定する声掛けはしません。勝手な解釈により、子どもが表現したい気持ちの幅を狭めてしまう危険性があるからです。

もうひとつ大事にしていることは、「心の矢印がどこに向いているのか」。自分の力で“助けてあげたい、役に立ちたい”とつい考えてしまいますが、その思いの矢印は、遺児ではなく自分自身に向いていることが多いそうです。

東北の子どもたちに今、必要な支援とは

「震災当時、たくさんの人がおもちゃを持ってきてくれたんです。それはありがたいことなのですが、その中の一人が、『“せっかく”おもちゃを持ってきたのに、なんで子どもたちは遊ばないんですか』と真剣に聞いてきました。それは、“私、あなたの役に立っているよね”という自己満足に近い感じがあります。だから常に、誰に向けての行動・発言なのかを意識しなければいけません」。

また、子どもたちへのアドバイスにも注意が必要。相手のことを十分知らずに選んだ言葉が、時に凶器になってしまうこともあり得ます。もし、自分の経験をアドバイスしたいのならば、まずは子どもの話を聞き、役に立つことかどうかを熟考することが重要だと西田さんは考えています。子どもたちは自分自身で癒やしの力を持っていると信じ、余計なことはせずに手助けすることが大事で、子どもたちに“ここに来れば、いつでも自分を受け入れてくれる”と思ってもらうことが、レインボーハウスの大きな役割の一つです。

「これから私たちができることは何か?」という質問に、西田さんはこう答えます。
「『もう10年たったから大丈夫』ということはない。子どもたちの成長に伴い、現在進行形で悲しみは変化し続けています。このことへの理解が、支援につながる」と。

レインボーハウスの運営のほとんどが、チャリティホワイトをはじめとした一般の方の寄付金から成り立っています。しかし、現在、支援者の高齢化があしなが育英会の抱える大きな課題のひとつ。私たちがこれからも変わらぬ支援を続けることが、重要になっていきます。

東北の子どもたちに今、必要な支援とは

3月11日をきっかけに、震災遺児たちに心の矢印を向けてみませんか?

(掲載日:2020年3月4日)
文/撮影:アマナ

3.11に関するソフトバンクの取り組みを紹介しています