高級食材キャビアの親であるチョウザメは、実はサメではなくて約3億年前から生息する古代魚の一種。その生態はまだ解明されていないことも多く、飼育や養殖が難しいという事情があります。
そんな現状を受けて、北海道を舞台に、テクノロジーを使ってチョウザメの養殖業をさらにパワーアップさせるため、いわば同盟とも言える産学官連携が実現。その興味深い生態に迫るべく、チョウザメについて生物学や解剖学からの知見を持つ国立大学法人北海道大学大学院水産科学研究院、チョウザメの飼育を行う北海道美深町、AIやIoTの技術提供を行うソフトバンクに、チョウザメ養殖の未来について教えていただきました。
よく育ち、おいしいキャビアを産める。チョウザメのエリートの条件をAIで解き明かす
世界三大珍味として知られるキャビアは、簡単に言ってしまえばチョウザメの卵巣をほぐして塩漬けにしたもの。ですが、そこまでには長い長い道のりがあるそうです。
国立大学法人北海道大学大学院水産科学研究院長
都木 靖彰(たかぎ・やすあき)さん
北海道美深町 総務課 係長
紺野 哲也(こんの・てつや)さん
ソフトバンク株式会社 テクノロジーユニット アドバンスドテクノロジー推進室 室長
須田 和人(すだ・かずと)
- 国立大学法人北海道大学大学院
水産科学研究院長
都木 靖彰(たかぎ・やすあき)さん
- 北海道美深町 総務課 係長
紺野 哲也(こんの・てつや)さん
- ソフトバンク株式会社
テクノロジーユニット
アドバンスドテクノロジー推進室 室長
須田 和人(すだ・かずと)
本日はよろしくお願いします! 美深町ではいつからチョウザメの飼育を行っていらっしゃるのですか?
「美深町は人口よりチョウザメの数のほうが多い町です。もともと1983年頃に国から卵を預かったのが始まりで、飼育環境などを改善してようやくキャビアが取れるようになってきました。
キャビアを生産するにはかなり時間がかかります。チョウザメは3年に1回ほど抱卵しますが、生まれてから抱卵するまで6年以上、抱卵してからキャビアとして製品化するまでに3~4ヵ月間かかります。抱卵期間中に卵に不純物が混入しないように清浄な水質環境を保つなどお世話も大変です」
「チョウザメは2~3歳になるまで性別の判断ができないです。しかも、外見からは性別を判断することができないため、美深町の養殖場では手術でお腹の中を確認することでオスかメスか判断しています。その後縫合して生け簀に戻し、オスであればもう少し養殖を続けて大きくしたあと食肉に。メスはさらに養殖を続けてキャビアをとります。手術の時点で死んでしまったり、キャビアが産めるようになる6歳まで生きられなかったりするケースも実はあります」
1匹ずつ手術をして、性別を判断しているなんて知りませんでした…! かなり大変な作業ですね。
「最近では技術の進歩で、メスだけを生産することができるようになっていますが、今回われわれが共同で目指すのは、ソフトバンクのAIやIoT技術を活用して、チョウザメの優良な個体の定義を見つけることです」
チョウザメの優良な個体とは、どういうことですか?
「古代魚として特異な性質を持つチョウザメは、解明されていないことがたくさんあります。育ちやすく高品質なキャビアを抱卵するチョウザメの生態的特徴の仮説はいくつかあるのですが、正しいかどうかはまだ試験されていません。
優良な品種として養殖に適した特長を持つように改良されたトラウトサーモンのように、養殖に適したチョウザメを作りたいと考えています。そのためには、チョウザメ1匹1匹を識別しデータ化して、稚魚から抱卵するまでの過程を追っていくというのが今回のわれわれの試みです」
他の魚と比較できない骨や筋肉も。チョウザメの身体を3D・CG化
ソフトバンク株式会社
アドバンスドテクノロジー推進室 担当部長
石若 裕子(いしわか・ゆうこ)
- ソフトバンク株式会社
アドバンスドテクノロジー推進室
担当部長
石若 裕子(いしわか・ゆうこ)
「見た目から違いを判断することが難しいチョウザメですが、泳ぎ方の特徴から区別できるのではないかと推測しました。そこで、骨格モデルの作成に取り組み始め、例えば少し右に振れるといった泳ぎ方の傾向が判別できれば個体識別ができるという仮説を立てました。これから検証していく段階です。
実際に泳ぐチョウザメから動きをAIに学習させようとすると、大量のトレーニングデータセットが必要になります。魚の場合、人の手でアノテーションをすることは非常に難しいです。例えば、チョウザメ同士が重なり合ってしまったときに分からなくなってしまいます。
そのため、チョウザメのCGシミュレーションを作成し、自動的にアノテーション※を生成する手法を考案いたしました。現在は、チョウザメの検知とある程度のトラッキングまでできています。
- ※
アノテーション…どこに魚がいるかどうか一つ一つ印を付けていくこと
今後、個体識別をするためには、個々のチョウザメの特徴が必要になるため、チョウザメの筋骨格モデルを使ったCGシミュレーションで個々のチョウザメの動きを再現し、大量のトレーニングデータを自動作成して、個体識別の学習に使用する予定です」
国立大学法人北海道大学大学院水産科学研究院 教授
今村 央(いまむら・ひさし)さん
ソフトバンク株式会社
アドバンスドテクノロジー推進室 課長
嘉数 翔(かかず・しょう)
- 国立大学法人北海道大学大学院
水産科学研究院 教授
今村 央(いまむら・ひさし)さん
- ソフトバンク株式会社
アドバンスドテクノロジー推進室 課長
嘉数 翔(かかず・しょう)
泳ぎ方のクセを見つけるために骨格モデルからスタートするとは、かなり地道な作業が続きそうですが、どうやって骨格モデルを作っていくのですか?
「3Dモデルは、今村先生が作画したスケッチをもとに、1本1本の骨や筋肉の形を丁寧に再現しながら作っていきます。ただ平面図だけでは、何と何の部位がくっついているかなど立体的な構造が分からないので、今村先生に適宜確認していただきながら作成していて、もうすぐ完成するところまできました。そこから筋骨格モデルをシミュレーションにより動かすようになるまであと1年ほどかかります」
古代魚であるチョウザメだからこそ、困難なことはあるのでしょうか。
「魚の中で最も大きな進化を遂げた真骨魚類と比べて、形態的に古い性質を持つ古代魚には、名前の分からない筋肉や骨があって驚きました。特に、骨と違って壊れやすい筋肉は、形態学の中でも研究が進んでおらず、世界的にも筋肉形態の観察ができる人が少ないんです。自分のこれまでの研究ノウハウが真通じない点では作画するのにかなり苦労しました」
「当初は3Dセンサーでチョウザメの身体的データを取得したほうが早いと思ったのですが、骨が細すぎて何も映らなかったんです。スケッチや解剖した骨の撮影データをもとに一つ一つ作っているので時間がかかります」
今回3Dモデル化のためにチョウザメを解剖して、形態学的に新しい発見はありましたか?
「骨は種類だけでも60以上あります。チョウザメはほぼ軟骨でできているサメと違って、硬骨魚類なので骨が堅いのが基本です。しかし、チョウザメは本来硬骨になる骨が軟骨の段階で止まっていて、学術的には『チョウザメは二次的に軟骨化する』と言われています。実際に解剖してみると、思ったより軟骨ばかりではなく、硬骨もかなり含んでいました」
チョウザメの養殖をスマート化して、日本のキャビア産業を発展させる
テクノロジーを使って優良なチョウザメの定義を目指すとのことですが、そもそも、養殖に向いているチョウザメにはどんな条件が必要なのですか?
「キャビアの品質は粒の大きさに左右されます。粒が大きいほど高品質になるので、抱卵するときに身体が大きいほうが望ましいです。つまり、よく成長することが重要になってきます。チョウザメの中でも種類によって身体の大小が異なるので、2~3メートルほどの大きさまで成長する種類同士をかけ合わせたチョウザメのキャビアもおいしくなりやすいです」
よく成長して大きくなることが養殖向けのポイントなんですね。
「美深町における成長のポイントは、水温が10度以下になったときに食べる餌の量です。水温が低くなる秋から春の期間はほとんど餌を食べず、成長が期待できません。水温が低くてもある程度餌を食べて成長できるような、冷たい水に強い種類が飼育に好ましいです」
「もちろん、その中でも個体差があるので、今回の研究は成長スピードが早くて高品質なキャビアを抱卵するチョウザメに、どんな特徴があるのかを明らかにするための第一歩です。低温でもいっぱい食べる、消化力が強いといったことが重要になる可能性も考えています。
生物学者としてチョウザメが興味深い理由の一つは、いわゆる古代魚といわれる魚が化石ではなくて、昔の魚の性質を残した生き物であること。飼育しながら生体反応を直接観察できるのは研究者として実は一番おもしろいですね。
私はチョウザメの背骨や内臓などの食べない部分の有効活用の研究をしていますが、性質が普通の魚とは違います。進化過程で魚の生体的機能も変化するので、進化してきた魚の元々の性質が分かるのが古代魚のおもしろいところです。例えば、チョウザメの腸は特徴的でして、一見1本の管に見えますが、内部で螺旋状になっています。短いけど距離が長いというおもしろい形態の腸をしています」
医療や芸術、嗜好品としての活用が期待されるチョウザメの特殊な成分
チョウザメには興味深い性質の成分が含まれ、医療や美容分野での活用が期待されています。頭蓋骨の中にある軟骨からとれるコンドロイチンは、健康機能成分として使われる可能性も。チョウザメの浮袋からとれるコラーゲンは、特殊な性質を持っており、最高級の「にかわ」の原料としても利用されるほど特別なものです。接着剤として宝石類の接着や、アイシングラスとしてワインやビールの製造に使われ、チョウザメのものが最も良いものとされています。
「魚の機械学習のトレーニングデータは、さまざまな条件があって集めるのが難しいところです。CGでトレーニングデータを作成し、他ではできないAIの作成に取り組んでいます。ソフトバンクはAI、IoTの分野で技術的な協力を行い、美深町を養殖業のスタンダードとして全国に広めていきたいと考えています」
「人口が減少している地域における産業の活性化に、大学として地域貢献していきたいというのが目標の一つです。水質もきれいでチョウザメの養殖に最適な美深町と連携して、北海道をモデルとする先行事例を作っていきたいですね」
「農業や林業など、あらゆる産業でテクノロジーが活用され、それが当たり前の時代になっていきています。養殖業もその波に乗って、新しいチャレンジに自分もわくわくしています。『こんなのあったらいいな』という課題や希望をソフトバンクの須田さんや石若さんに伝えていくのが美深町としての役目で、ほかの地域と一緒に日本のキャビア界を元気にしていきたいです!」
北海道大学とソフトバンクが共同で行う研究・成果が書籍になりました
AIが切り拓く養殖革命 ~北大×ソフトバンクのチョウザメプロジェクト~
石若裕子 編著
今村央/須田和人/安居覚/嘉数翔/M・イーストマン/小川駿/利根忠幸 共著
養殖におけるAIの応用について、解剖学的手法も用いたデータ収集に始まり、CGオブジェクトの作成、水中環境のシミュレーション、ディープラーニングにより水槽の映像からチョウザメを自動検知し、尾数のカウントに成功するまで、実際の作業の流れに沿って、興味深い画像や動画、そして失敗談も交えて、具体的かつ詳細に解説します。
※画像提供:北水ブックス
関連リリース
- 北海道大学水産科学研究院と美深町、ソフトバンクが次世代のチョウザメ養殖のための産学官連携協定を締結(2023年3月29日、国立大学法人北海道大学大学院水産科学研究院、北海道美深町、ソフトバンク株式会社)
(掲載日:2023年5月29日)
文:ソフトバンクニュース編集部