今、世界中で大きな注目を集める「生物多様性」ってご存じですか? 私たちの生活は、さまざまな生き物たちが築くネットワーク=生物多様性に支えられていますが、開発や乱獲などの影響により、そのバランスが崩れつつあります。気候変動や新しい感染症の防止にも影響する生物多様性を守るために、多くの企業が近年、積極的な取り組みを始めています。
今回は、そんな生物多様性の概要や重要性、生物多様性を守るためにできるアクションなどについて、国立環境研究所の五箇公一さんに教えていただきました。
目次
私たちの暮らしを支える「生物多様性」とは?
最近よく耳にする「生物多様性」とは、どういう意味なのでしょうか。
「生物多様性とは、biological(生物の)とdiversity(多様性)の2語を組み合わせた造語であり、生物の多様な姿とそれらの相互作用を表す言葉です」
なぜ今、生物多様性が注目を集めているのでしょうか。
「1992年にブラジルで開催された国連環境開発会議(地球サミット)で、地球全体で生物多様性を考え、その保全を目指す『生物多様性条約』が採択されました。その頃から生物多様性は国際的に重要な課題とされていましたが、同時期に国際条約が採択された地球温暖化と比べて、重要性が理解されにくく、なかなか取り組みが進まなかったんです。
近年ようやく、CO2排出量の削減には自然環境の持続が不可欠なので、地球温暖化と生物多様性はセットで考えるべきだという議論がされるようになり、国や企業が生物多様性の保全に向けて動き始めました」
生物多様性の3つのレベルとは? 「景観の多様性」が重要な理由
1992年に採択された「生物多様性条約」では、生物多様性を3つのレベルで捉えるとされていますね。「生物多様性の3つのレベル」とはどのようなものか教えてください。
「生物多様性の3つのレベルとは、『遺伝子の多様性』『種の多様性』『生態系の多様性』のことです。それぞれ詳しく見ていきましょう。
①遺伝子の多様性
同じ種でも異なる遺伝子を持つことによって、その形や模様、生態などに多様な個性が生まれます。この『遺伝子の多様性』があることで、環境に変化が起きても絶滅のリスクを回避することができます。長きにわたる地球環境変動の歴史の中で、多くの生物は有性生殖などによって遺伝子の多様性が維持されるよう進化しています(生物は意識的に遺伝子の多様性を維持しているわけではなく、環境の変動の中で、遺伝子の多様性は必然的に維持されてきたことになる)。
②種の多様性
地球には、動物から植物、細菌などの微生物まで、さまざまな種が進化しており、このことを『種の多様性』と言います。科学的には約175万種と言われていますが、未知のものも含めると、実際には300万種から1億1,100万種が生存しているとも推測されています。これらの多様な種は、遺伝子の多様性によって生み出されたものです。そしてさまざまな種が組み合わさることで、生態系の多様性が生み出されます。
③生態系の多様性
地球には、海、川、森林、湿地など、さまざまなタイプの自然環境があり、その場所の気候や地形に応じて異なる種類の生態系が存在しています。さまざまな生態系が融合しあうことで、地球環境は維持されています。このことを『生態系の多様性』と言います。
私はこの3つの多様性に加えて、第4の多様性として『景観の多様性』も重視しています。気候や地形、そこに展開される生態系などによって、地域ごとに風景は大きく異なりますよね。こうした景観の違いは、私たち人間に大きなインスピレーションを与え、それによって文化や社会にバリエーションを創り出してきたと考えられます。つまり、景観の多様性は、人間社会の豊かさにひもづく概念と言えるでしょう」
ハチの巣が段ボールに? 生物多様性が与えるさまざまな恩恵とは
生物多様性によって私たちは具体的にどのような恩恵を受けているのでしょうか?
「生態系の機能のうち、人間に恩恵があるものを『生態系サービス』と言います。私たちはあらゆる面で生態系サービスの恩恵を受けています。代表的なものをいくつか挙げてみましょう。
①調整サービス
私たちが生きるのに欠かせない大気や水をきれいにしたり、気候を調整したり、自然災害を防いだりする生態系の機能を『調整サービス』と呼びます。例えば、山の木をたくさん伐採したり、森林の管理を放置したりすると、雨水を保ち徐々に放出するという保水機能が失われ、洪水を防ぐという調整サービスが発揮されなくなり、自然災害を引き起こす要因となります。
②食糧資源の供給サービス
おいしくて栄養価が高い食材を育種などで作ることができるのは遺伝子の多様性のおかげで、豊かな食生活も生態系サービスによって供給されています。現在、私たちが口にしている食べ物は全て、もとは野生生物です。その中から人体に無害で、おいしく食べられるように品種改良した結果、バラエティ豊かな食材が確保され、食文化も発展しました。
③医農薬資源の供給サービス
マラリアの特効薬であるキニーネは、アカネ科のキナという植物の樹皮から製造されます。また、害虫防除に使用される殺虫剤ピレスロイド剤は、ピレスリンという除虫菊が含む防虫成分をもとに合成されています。このように、人間は野生生物から化合物のヒントを得たり、それを人工的に改造したりすることで、医薬品や農薬を作り出しています。遺伝子の多様性を守ることは、新たな医農薬品の開発につながります。
④バイオミメティクス(生物模倣)
生物の形や機能構造を利用して、人間社会に役立たせる科学技術を『バイオミメティクス(生物模倣)』と呼びます。例えば、ミツバチの巣のハニカム構造は、ダンボールや緩衝材の構造に応用されています。また、カタツムリの殻は細かい筋が入っているおかげで、保水して汚れが蓄積しにくい構造になっており、建築資材メーカーがそれをヒントに汚れが付きにくい外壁を開発したといった例もあります」
生物多様性が失われるとどうなる?
私たちが生きていくために生物多様性は必要不可欠なんですね。もし生物多様性が失われたら、どのようなことが起こり得るのでしょうか。
「自然破壊、あるいは乱獲などによって生物の多様性が減少してしまうと、生態系というシステムが環境変動に耐えられなくなり、さらに絶滅が加速してしまう可能性があります。実際に、過去1,000万年間と、ここ10年間の絶滅の平均速度を比べると、10倍から100倍ほど加速しているとも言われています。そうなると生態系機能が劣化し、人間社会の持続性にも危機が及ぶと予測されます。
また、生物多様性はウイルスや病原体のゆりかごの役割も果たしています。生物がバラエティ豊かに生息することで、ウイルスもさまざまな生物に取り付き、お互いに進化を繰り返して、安定した共生システムを構築してきました。しかし、種の多様性が劣化し、ウイルスと宿主による共生システムのバランスが崩れると、当然ながらウイルスも生存戦略として、人間のようなより多く生息する生物に新たな宿主として感染することになります。新型コロナウイルスのような新しい感染症の出現間隔が短くなっているのは、病原体も含む生物多様性の共生バランスが崩れてきている兆候のひとつだと考えなくてはならないと思います。
生物多様性を大切にするということは、『かわいい動物や、きれいな植物を守ろう』といった、単なる愛護や保護で終わる概念ではありません。生物多様性は、安心安全で、豊かな人間社会の持続的発展に欠かせないもの。ゴキブリや蚊といった人間に嫌われている生物も、生態系にはなくてはならない機能を発揮しています。つまり不要な生物など存在しませんし、私たちは好き嫌いに関わらず、あらゆる生物と共生していかなくてはなりません。生物多様性が失われると一番困るのは、その恩恵をベースに生活している私たち人間なんですよ」
今日から実践! 生物多様性を守るためにできること
今、世界では、生物多様性の保全に向けてどのような取り組みが行われているのでしょうか。私たち個人ができる生物多様性を守るためのアクションについても、あわせて見ていきましょう。
生物多様性保全に向けた国内外の具体的な取り組み
「生物多様性の保全に向けた、近年の代表的な取り組みを3つ紹介しましょう。
①昆明・モントリオール生物多様性枠組
2022年12月、生物多様性条約第15回締結国会議(COP15)で、生物多様性に関する世界目標である『昆明・モントリオール生物多様性枠組』が定められました。
これまでの生物多様性に関する目標は、種の絶滅を防ごう、外来種を減らそうといった、ネガティブインパクトを抑えるものが主流でした。しかし、この枠組みでは『自然と共生する世界』を2050年までの目標に掲げ、生物多様性のポジティブな回復を目指しています。
②30by30(サーティ・バイ・サーティ)
生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せる取り組みを『ネイチャーポジティブ』と言います。30by30とは、ネイチャーポジティブの実現を目指し、2030年までに国土の30%以上を健全な生態系として効果的に保全しようとする目標です。
日本では、この目標に向けた取り組みのひとつとして、里地里山やビオトープ、森林施業地、企業の森など、生物多様性を守ることにつながる民間の取り組みを促進するために『自然共生サイト』という仕組みが作られました。自然をただ保護するだけでなく、人間活動が行われる過程において生物多様性が維持される区域を増やすことが、自然共生サイトの重要な目的です。
③TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)
TNFD(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures)とは、企業・団体が経済活動による自然環境や生物多様性への影響を評価し、情報開示する枠組みの構築を目指す組織のことで、2021年に設立されました。
簡単に言えば、企業活動が自然資源に対してどのように接していて、そこにどんなリスクがあるのか、あるいはどんなポジティブな影響を与えているかといった情報の開示を求める取り組みです。TNFDの目的は、金融機関や投資家の適切な投資判断の指標として機能することであり、ネイチャーポジティブに積極的に取り組む企業は、持続可能性が高いと判断され、投資対象として発展することが期待されます」
生物多様性を守るために、私たちが今すぐできること
生物多様性保全に向けて、世界中でさまざまな取り組みが始まっています。では、私たち一人一人ができることはあるのでしょうか? 最後に、生物多様性を守るために今すぐできる身近なアクションを五箇さんに2つ教えてもらいました。
①省エネルギーを心がける
「まずはエネルギー消費を減らして、温暖化の進行を抑制し、生態系に対する負荷を軽減すること。そのために私たちが最も身近で簡単にできるアクションは、電化製品のスイッチをこまめにオフにしたり、照明をLEDに取り替えたりするなど、消費電力を減らすことです。自家用車ではなく、自転車に乗ったり、電車やバスなど公共交通機関を使ったりすることも消費電力の削減につながりますし、CO2の排出量削減にも貢献できますよ。
②足元の自然を大事にする
生物のローカリティー(地域固有性)を守ることも、生物多様性を維持することにつながります。とはいえ、あまり難しく考える必要はありません。まずは、自分が暮らしている地域の自然や生物の歴史を知り、昔はどんな生物が暮らしていたのか思いを馳(は)せてみてください。同時に、今どんな生物が生息しているのか、外来種がどれだけ増えているのかもリサーチしてみましょう。また、地域の特産品や旬の食材を味わうことも、その土地の生物について知ることにつながりますね。
そうやって生物の地域固有性に関心を持つことで、住民同士が地域の自然や環境はどうあるべきかを考え、どう行動するか話し合う機会が増えるはず。そうした地域レベルでの活動の積み重ねが、生物多様性の保全へとつながると期待されます」
私たちが生きるためには水や酸素、食物が必要であり、その供給には生物多様性が欠かせません。つまり、私たちの命と生物多様性は切っても切り離せない関係にあり、生物多様性を守ることは自分や社会全体の人の命を守ることにもつながるのです。国や企業の取り組みを知ることはもちろん、身近な自然や生きものの姿に思いを馳せ、小さなアクションから生物多様性を守る活動を始めてみませんか?
(掲載日:2024年2月19日)
文:佐藤由衣
編集:エクスライト
ソフトバンクの生物多様性への取り組み
ソフトバンクは国際社会が目指す「ネイチャーポジティブの実現」を支持し、その実現に貢献するため、バリューチェーンを含む事業に伴う生物多様性への影響低減や森林破壊につながる土地開発への配慮の取り組みを推進しています。