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禅の達人・京都 妙心寺の松山大耕さんに聞く、リモートワークを充実させる集中力の極意

禅の達人・京都 妙心寺の松山大耕さんに聞く、リモートワークを充実させる集中力の極意

新型コロナウイルスの影響で、私たちの生活が大きく変わりつつあります。それは「仕事」においても例外ではありません。オンライン化やテクノロジーの浸透によって、仕事に求められるスキルやマインドにも大きな変化が今、求められています。

そこでソフトバンクニュースでは、さまざまな分野で活躍する達人たちに、ニューノーマル時代のビジネスパーソンのヒントとなるような話を毎回お聞きしていきます。

第4回目は「禅の達人」として、京都 妙心寺 退蔵院の松山大耕さんに、何かと気が散りがちなリモートワークをより充実させるような「集中力」の極意についてお話を伺いました。

今回の達人は、禅の達人

禅の達人・京都 妙心寺の松山大耕さんに聞く、リモートワークを充実させる集中力の極意

松山大耕(まつやま・だいこう)

1978年京都市生まれ。東京大学大学院で農学を修めた後に、埼玉県・平林寺で3年半の修行生活を送り、2007年より退蔵院副住職。前ローマ教皇やダライ・ラマ14世との会談、各国大使館での講演活動、国際会議への出席など、世界の宗教の垣根を越えて活動中。サッカー好きとしても知られ、Jリーグの解説を務めるなど多彩な活動も。リヴァプールFCのファン。

京都 妙心寺 退蔵院

1404年建立、京都で600年以上の歴史を持つ臨済宗の寺院。初期水墨画の代表作・国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」の所蔵や、寺院内の史跡名勝・枯山水庭園「元信の庭」、池泉回遊式庭園「余香苑(よこうえん)」なども有名。早朝・夜間の一般の方向けの坐禅指導や、観桜会など季節ごとのイベントも開催している。

お坊さんには絶対なりたくなかった青年が、禅の道に入るまで

禅の達人・京都 妙心寺の松山大耕さんに聞く、リモートワークを充実させる集中力の極意

取材はオンラインで行いました

松山さんが仏教の道に入られたきっかけについて教えていただけますか?

私は退蔵院の長男として生まれましたが、昔からお坊さんにだけは絶対なりたくなかったんです(笑)。自分の努力と関係なしに将来が決まっていることがとても嫌で、「将来は絶対に坊さん以外の仕事に就くぞ!」と子どもの頃から思っていました。

それで大学は農学部に入りました。大学院まで進んで、あるとき長野県の農家に半年間住み込みで研究を行う機会があり、ふと思いつきで近所にあった妙心寺派のお寺を訪ねてみたんです。そこの和尚さまとの出会いが衝撃的で、私の心の師匠になってしまいました。

和尚さまはどのような人だったのでしょうか?

普通、お寺には檀家さん(お寺やお坊さんを経済的に支援する家)がいるのですが、私が訪ねたお寺には檀家さんが一軒もいませんでした。拝観料さえ取っておらず、托鉢だけで生活されていたんです。「このご時世にこんな人がいるのか!」と本当に衝撃を受けました。その和尚さまは当時まだ40代だったのですが、地域の人々にもとても尊敬され、慕われていましたね。

地域に住むある詩人が、和尚さまについての詩を書かれていました。「和尚さんが毎日托鉢される。その声が響くと、街に安心が広がる」という内容です。それを読んだときに「ああ、お坊さんの仕事は葬式や法事だけではなく、人々に安心を与えることなんだ!」と自分のなかでバチっとくる感覚があったんです。

「こういうすごい人がいるなら、禅の世界にチャレンジしてみる価値があるな」と思い、一念発起して修行の道に入りました。

毎朝3時起床、朝食は米粒が数えられるほど。超ストイックな修行生活

お坊さんになるための修行とは、具体的にどのようなことをされるのでしょうか?

お坊さんになるのは、運転免許を取るのに近いものがあります。まずは教習所に通うみたいに、道場(お寺)で約3年修行を積む。それが終わると本山での儀式と筆記試験があって、それを通過して、やっと1人前のお坊さんとして認められます。

私は埼玉県の道場で3年半修行を積んだのですが、そのときは毎日、以下のようなスケジュールでした。

修行時代の松山さんのスケジュール

午前3時

起床。起きてすぐ1時間のおつとめ(お経を唱えること)。

午前4時

朝食。メニューはお粥、梅干し、たくあんが基本。40人の修行僧でごはん1.5合をお粥にしたものを食べる。松山さんいわく、米が数十粒ほどの計算なので、味はほとんどお湯に近いのだとか。

午前4時半〜6時

ひたすら座禅を行う。

午前6時以降

掃除、畑仕事、薪割りなど、お寺の日常雑務をこなす。

午前11時

昼食。メニューは麦飯、味噌汁、野菜一品、たくあん。お昼と夕食は麦飯のおかわり自由。

午後以降

午前から引き続き、日常の雑務をこなす。

午後5時

夕食。メニューは昼食と同じ。その後、お風呂に入るが、ひとり3分ほどの短時間で入らなければいけない。

午後6時

ひたすら座禅を行う。

午後9時

消灯。しかし、すぐに寝るわけではなく、自分の座布団を持って、本堂の縁側で居残り座禅を行う。

午前0時

就寝。

ものすごくストイックな生活ですね……! これを3年半、しかも睡眠時間も3時間程度と非常にきつそうです。

最初の半年間は休日も一切ありませんでした。もちろんテレビ、ラジオ、携帯、新聞などはなく、本さえ読んではいけない生活。最初の頃は、正直しんどい気持ちしかなかったですね。毎朝、朝食に梅干しが1個出てくるのですが、3年ということで「これをあと1,000個も食わなあかんのか……」と修行を始めた当初は絶望していました(笑)。

でも不思議なことに、半年くらい経つと慣れてしまうものなんです。

なぜかというと、お寺の生活には、イレギュラーな要素が一切ない。やることのルーティンが毎日、数分の狂いもなく決まっているような究極の規則正しい生活を続けると、日常の余計な悩みがどんどんそぎ落とされていって、健康になっていく感覚があるんですね。ですから特にこのようなご時世、規則正しい生活を送ることは、心身の健康のためにも、とても大切なことだと思います。

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もう一つ、修行を始めて1年くらい経ったときの話なんですが、ちょうど春の頃合で、満開の桜の下で薪割りをしていたんです。すると、ある檀家さんが通りかかって「満開の桜の下で薪を割れるなんて、最高やね」と声をかけてくれて。

それまでは修行をしていても、自分の中にどこかみじめな気持ちがありました。学生時代の友人たちは、就職して好きなものを食べて、休みの日はたっぷり寝て、彼女とデートをしている。それに比べて自分は自販機でジュースすら買えない生活。一体、何をやってるんだろうと。

だけど、その檀家さんの一言でハッとしたんです。「こんなあくせく世知辛い世の中で、自分は満開の桜の下でただ薪を割っている。この瞬間はある意味、最高に幸せなのかもな」と。その言葉がスイッチになったみたいに、それ以降は修行にも身が入るようになりましたね。

世界的に注目の「マインドフルネス」と「禅」の大きな違いとは?

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世界的なIT企業などが社員研修にマインドフルネスを取り入れるなど、座禅やマインドフルネスに大きな注目が集まっていると思うのですが、そもそも「禅」とはどのようなものなのでしょう?

禅はインドで生まれた仏教の一派で、日本には約1,000年前に伝わったとされています。

禅の大きな特徴としては、「実践」を何よりも重んじることが挙げられます。例えば私が今、オレンジジュースを飲んで、その味を説明したとしましょう。甘みや酸味がある、ちょっと冷たい、飲みやすい……などなど、言葉ではいろいろ説明できますが、いくら上手に説明したところで、実際に飲んでみないと本当の味は分からない。簡単に言うと、これが禅なんです。

つまり禅の本を何冊読もうが、偉いお坊さんの話をどれだけ聞こうが、お釈迦さまがたどり着いた境地は私たちにはわからない。しかし、お釈迦さまと同じことを実践すれば、その一部でも追体験できるかもしれません。だから厳しい坐禅をして、自分を見つめて、少しでもその境地にたどり着こうと、禅では実践や体験を重んじるわけなのです。

マインドフルネスとは?

マインドフルネスは一般的に「今、この瞬間に意識を集中すること(あるいは、そうした心の状態)」を指す言葉です。そうした状態に到達するための手段の一つとして、座禅や瞑想が用いられます。メンタルコントロールや集中力向上といった側面から、スティーブ・ジョブズなど著名なビジネスパーソンが実践したり、世界的なIT企業が社員研修に用いたりするなど、ビジネスシーンで世界的な注目を集めています。

なるほど。では「禅」と「マインドフルネス」は具体的にどのようなところが違うのでしょうか? そもそもこの2つは違うものなのでしょうか?

マインドフルネスはもちろん仏教由来のものではありますが、いま流行りのものは、本来の仏教的な意味からはちょっと外れている気がします。

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というのも、ビジネスパーソンがマインドフルネスを行う場合、そこには仕事のパフォーマンスや集中力を上げたいとか、ひいては業績アップにもつながるかもしれないとか、具体的な利益を求めて行う人が多いと思うんです。

しかし、禅は先ほども述べたように、実践することそれ自体に重きを置く。何らかの利益を求めてやるのではなく、座禅をすること、自分とは何かを明らかにすることが目的なのです。そこが禅とマインドフルネスの大きな違いだと思います。

もちろん、功利主義的な考えで行うマインドフルネスを一概に否定するわけではありません。しかし仏教に携わる身として、それだけだとちょっともったいないな、と思う気持ちはありますね。

禅の視点から考える「集中力」の境地とは?

禅の達人・京都 妙心寺の松山大耕さんに聞く、リモートワークを充実させる集中力の極意

禅の視点から見て、本当に「集中している」状態とはどんなものなのでしょうか?

最近はお寺で禅の体験研修を行う企業も増えており、社員の方々に裸足になって雑巾がけをしてもらったり、お寺のごはんを食べたり、実際に坐禅を行ったりと、さまざまな修行を実際に体験してもらいます。参加者に感想を聞くと、圧倒的に多いのが「ごはんって、こんなにおいしかったんですね!」という感想です。

でも、実際に食べていただいたメニューは質素な精進料理。それが、なぜそんなにおいしく感じられるのでしょうか? 

確かに……。どうしてなのでしょう?

それはいつもと違って皆さんが、食べることだけに集中しているからだと思います。

普段の食事では、テレビやスマホを見ながらや、誰かと話しながら食べることが多いですよね。しかし道場での食事は、正座して一言も喋らず、黙々と食べなければいけない。目の前の食事にのみ集中することで、普段は感じ取れていないお米の甘みや香り、味噌汁のコクまで、しっかり感じられるようになるわけです。

そのように集中して食事をするというのも、禅の修行の一環なのでしょうか?

食事だけではありません。「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」という言葉がありますが、歩くときも、坐禅をするときも、食べるときも、寝るときも、すべての日常の行動が禅につながるのです。庭掃除や雑巾がけ、料理なども同じです。“今、この瞬間への集中”が日常のあちこちにある。それが禅なのです。

ということは、一つの作業に集中するのではなく、同時並行でさまざまな業務をこなす「マルチタスク」は、禅的にはあまり良いものではない?

いえ、必ずしもそういうわけではなく、例えば料理をするときも、マルチタスクでいろいろな作業を同時にこなしていると思うんです。お味噌汁をつくりながら、野菜を切って、流しを掃除する、というように。

そのときに重要なのが、一つひとつの作業を、素早く、美しく、丁寧にこなすこと。ビジネスシーンでも同じで、複数のタスクをダラダラやるのではなく、優先順位や緩急をつけながら、一つひとつの作業に集中してテキパキこなしていく。それがマルチタスクのあるべき姿だと思います。

コロナ禍でリモートワークも一般的になりましたが、家だとネットやSNSを見てしまったり、なかなか集中できなかったりする人も多いそうです。集中するためのアドバイスは何かありますか?

植物を植えるとき、発芽率というものがあって、種を植えてもそのうちの何割かしか芽を出さないんです。だから植物を植えるときは、一つの穴に種を1粒だけではなく、4〜5粒くらいまいておいて、切磋琢磨するように芽を出させるわけですね。

人間もこれと同じで、お寺での厳しい修行も、1人でやれと言われたら絶対無理だと思います(笑)。一緒にやる人がまわりにいるから、自分も頑張ろうという気になれる。

家での仕事の場合も、周りの目がないなら、だらけてしまうのは当たり前。だからこそ、「誰かと一緒にやっている感」を感じられるようにする工夫が必要でしょう。例えば、1日の特定の時間だけ職場の人とオンラインでつなぎながら仕事をしたり、自分と同じように仕事をしている人が多く集まるようなカフェに足を運んでみたり。

今の学生さんたちは友だちとLINEで画面をつなぎながら、一緒に勉強していると聞きますが、こういうのもすごく良いアイデアだと思います。

「不動」とはフレキシブルであること。自分の軸を見出し、動きながら大切な場所に留まるべし!

禅の視点から集中力を養うのに効果的なトレーニング方法などは何かありますか?

お寺ではよく写経をやりますが、きれいに書いてやろうとか、早く書いてやろうとか、そういった下心があると、全然良い写経にならないんです。一番理想的なのは「気付いたらいつのまにか終わっていた」という状態。これが究極の集中状態だと思います。そのような状態を仏教では「三昧(ざんまい)」といいます。

禅の達人・京都 妙心寺の松山大耕さんに聞く、リモートワークを充実させる集中力の極意

そうした理想の集中状態に入るには、単純作業をこなすことが意外と効果的なんです。体は動いているんだけど、頭はそんなに使わなくてもいい、そんな作業。日常生活でいうと掃除や皿洗い、窓拭きなんかはうってつけですね。そういった単純作業に没頭しているときに、思考が整理されて抱えていたモヤモヤが晴れたり、パッと新しいアイデアが浮かんできたりするものです。トレーニングとは少し違うかもしれませんが、仕事が忙しくても、そういった時間を日常の中に持つことは、大切にした方が良いと思います。

加えて仏教的な視点でいうなら、そうした作業が自分のためだけではなく、「誰かのためになる」ものだと、なお良いですね。

禅の達人・京都 妙心寺の松山大耕さんに聞く、リモートワークを充実させる集中力の極意

最後に松山さんが考える、ニューノーマル時代を生きるにあたっての重要な心構えについて教えてください。

世の中の価値観が急激に変わるときは、「不動心」という言葉が重要になってきます。不動心とは一般的に、ブレずに物事を貫き通すような、“揺るぎなさ”といった意味で使われることが多い言葉です。しかし仏教では本来、違った意味を持っています。

不動心という言葉の元となった「不動智」という言葉を最初に用いたのは、宮本武蔵の師匠としても知られる沢庵和尚という禅僧なのですが、彼が言ったのは「フレキシブルであれ」ということなんです。

それだと確かに一般的な不動心とは真逆な意味になってきますね。

急な流れの川の真ん中に、小舟が浮かんでいたとします。皆さんがその小舟に乗っているとして、近くの橋の上から私が皆さんに「そこから動くな!」と声をかけたとします。そのときにどうするか?

言われた通り、何もせず動かなければ、川の流れに流されてしまう。その場所に留まろうと思うなら、流されないために何をしないといけないか考えて、自分から動かなければいけない。つまり、こういうことなのです。

面白そうなことや刺激的なことに考えなしに次から次へ手を出していると、自分が何をしているのか、何がしたいのか、方向性を見失ってしまいます。大きな時代の流れに流されないために、世の中における自分の立ち位置や役割、自分が今何をすべきなのか、己の「軸」をちゃんと見出して、フレキシブルに動き続けながらその場所に留まること。

こうした感覚を持つことが今の時代、特に重要なのではないでしょうか。

禅の達人・京都 妙心寺の松山大耕さんに聞く、リモートワークを充実させる集中力の極意

心身共に健康で働くために

ソフトバンクは、社員一人一人が心身共に健康で、常に活力あふれた集団であることが、会社と社員のビジョンを実現する原動力であると考え、社員の健康維持・向上を重要な経営課題の一つと位置付けて、健康経営に取り組むことを宣言しています。

(掲載日:2021年3月17日)
文:山田宗太朗
編集:エクスライト